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Vol. 11 1999年8月15日発行


 残暑お見舞い申し上げます。

 今日は8月15日です。終戦(敗戦)記念日です。

 54年前のこの日以来、日本は平和を享受してきました。しかし、ここタイ周辺ではインドシナの戦火が治まったのがわずか数年前のこと。南沙諸島やビルマ、スリランカ、印パなどでは今もきな臭い事件が起こっています。

タイから戦争と平和について考えてみました。         (M.K)

その前に

Nalida Siriwatanasakdikul    nalida@gpa.co.jp

 はじめまして。ナリダと申します。7月15日に入社したばかりです宜しくお願いします。1972年12月24日にバンコクに生まれました。

3人兄弟の2番目です。日本のことが好きなので大学の時に日本語を専攻しました。そして1995年から日本に留学して今年の3月に東海大学大学院の広報研究科を卒業しました。異文化に興味があります。

タイに関して興味のある方は情報を交換しましょう。ご連絡はいつでもOKです。お待ちしてます。

GPAではリサーチ&デスクワークを担当します。

それでは今月のテーマ

 「戦争と平和」などと大上段に構えましたが、ここで戦争論を開陳して「新ゴーマニズム宣言」などと張り合う気持ちは毛頭ありません。日本が平和を享受していた半世紀の余りの間にも戦火に翻弄されてきた人達の断片を拾ってみました。

<日本軍の亡霊>

 ビルマの奥地には今も残留元日本兵の村があるとまことしやかに囁かれています。噂される場所は、ミャンマー軍事政権が外国人の入域を制限している地域なので、正確なことはわかっていません。幾たびも勇敢なジャーナリストたちが、タイ側国境などから潜行してその存在を確認しようと試みているらしいのですが、まだスクープを聞けないでいます。

 幻の元日本兵村のことはさておき、インパール作戦に参加した日本兵で故国に帰還せずに現地にそのまま残った人は少なからずいます。50年以上前のことですから、すでに鬼籍に入った方が多いのですが、まだ御存命の方もいます。

 残留元日本兵でチェンマイ近郊におられる藤田松吉さん、メーソットにおられる坂井勇さん、中野弥一郎さんたちにお会いしたことがあります。生い立ちや残留にいたる経緯、残留後の生きざまはそれぞれ異なっているのですが、共通しているのは日本人であることの宿命から逃れられないでいる、ということです。日本人であることを隠しつづけた時代も、逆に日本人であるということを強く意識せざるを得なかったといいます。

 ガイチへ出征した台湾人日本兵、日本軍部に徴用されたアジア人ロームシャなどが故国に帰還せずに現地に残留しているケースもあります。映画「戦場にかける橋」のように連合軍捕虜の犠牲ばかりが強調されている「死の泰緬鉄道(タイとビルマを結ぶ鉄道)」ですが、マレーシア、インドネシアなどから集められたロームシャの犠牲者数のほうがはるかに多いようです。元憲兵隊通訳として泰緬鉄道の悲惨な現実を実際に目のあたりにした永瀬隆さんは、例年のようにカンチャナブリに贖罪の旅に出かけ、現地に残留するロームシャの故国への里帰りに尽力された、と聞きます。

 アジアを歩いていて年輩の方と出会うと、ソニー、トヨタ、ホンダなど日本の物質文明の礼賛と戦争時代の話題が必ずといって良いくらい出てきます。タイ、ビルマ国境の山岳民族の村で、お年寄り達にボロボロの「軍票」を見せられ、オボロゲな「軍歌」を聞かされ、「突撃!」「気をつけ!」などの片言の「軍人用語」を反芻されるのは「戦争を知らない子供」の私としては日本軍の亡霊に出会ったようなものです。正直いって逃げ出したくなる気分です。しかし、50数年たっても日本といえば戦争の記憶と物質大国の印象しか彼らに残していないのは我々の世代の情けなさでもあります。

歴史の生き証人である彼らの余命のある内に、できるだけ話をお聞きしたいと謙虚に思っています。

<ラブピース=ラブアメリカ :ベトナム戦争1>

 近頃アメリカで1969年のウッドストック30周年記念のコンサートが開かれ、多くの観衆を集めたと聞きます。30年前の当時、泥沼化したベトナム戦争への厭戦感がアメリカに蔓延し、平和の象徴、ハトの足をかたどったラブピースなどのアクセサリーと反戦ソングが流行りました。そして、反戦、徴兵拒否、体制批判の音楽家、文化人、芸術家、学生、ヒッピーなどがウッドストックに集結して「真夏の夜の夢」的なコンサートを繰り広げたのです。1975年のサイゴン陥落でアメリカ側の終戦(敗戦ではない)宣言があり、ベトナムは南北統一しました。ベトナムに先立って、ラオス、カンボジアでも首都が陥落し、インドシナからアメリカ軍は撤退しました。

 しかし今、アメリカは好戦的です。湾岸戦争や旧ユーゴ紛争にも主導して参戦しています。東西大国イデオロギーの代理戦争といわれたベトナム戦争時代と現在では国際情勢も異なっていますが、アメリカのベトナム戦争当時の厭戦感というものは何だったのでしょうか。

 戦後二十数年たった今もインドシナ戦争のMIA(MISSING IN ACTION 行方不明米兵)問題はアメリカ国内の重大関心事です。確かに戦後50数年たっても残留元日本兵に我々が関心を示すように、アメリカ人はMIAに過剰な反応を示します。MIAが捕虜としてインドシナの僻地に生存している、と主張する人もいます。軍人遺族会、家族会などの圧力団体の力が強く、MIA調査に多大な国家予算が組まれています。米越国交回復後も両者の交流がスムーズに進まないのは、この軍人遺族会、家族会の圧力があるからだ、という話もあります。ベトナム戦争は、米兵が、米国民が、直接に犠牲を受けた最大の戦争だったのです。当時のアメリカの厭戦感の源はこの辺りにあるのではないか、と思います。ケニア、タンザニアの米大使館爆破事件の報復に、テロリスト、ラディンを匿うアフガニスタンに直接ミサイル攻撃を行う過剰さも、自国民が直接に犠牲になったからと推測します。湾岸戦争や旧ユーゴでもアメリカ兵の犠牲者が出てはいますが、ベトナム戦争の比ではありません。だから湾岸戦争や旧ユーゴでは厭戦気分にはならないようです。

 カンボジア内戦で犠牲になった米国と日本のジャーナリストのものと思われる遺骨数体を村びとからの連絡をうけて写真に撮ったことがあります。射殺されて埋められたのを目撃した人もその近くに生存していて、ほぼ間違いなく彼らの遺骨だと考えられました。問題はどれが日本人で、どれがアメリカ人か、判らなかったことです。私が撮影してほどなくMIAの調査員が現地に到着して、厳重な撮影禁止のお触れを出しました。これらの骨はホノルルにある研究所でDNA検定などをして本人たちと同定したあと公表しますので、それまでの写真撮影や写真使用は差し控えて欲しいということでした。「日本人ジャーナリストの遺骨もありますが」と反論すると、「もし使われた写真がアメリカ人のものだったら、遺族を代弁してアメリカ合衆国があなたに名誉毀損、肖像権の訴訟をすることになりますが、それでも良かったらどうぞ」と脅されてしまいました。MIAミッションとはこんなに強固なものなのかと改めて恐れ入ったものです。

 ちょっと比喩的な話をします。ハリウッドの西部劇で永い間インディアンが正義の主人公になることはできませんでした。累々とした屍はインディアンでなければ観客から拍手してもらえません。西部無法地帯の殺しあいのはかなさを訴えるときは、インディアンではなく開拓者(侵略者)の死が必要でした。ハリウッドの戦争映画で(日本人は当然のことアラブ人、セルビア人、、、、)ベトナム人が正義の主人公になったり、ベトナム人の屍が戦争の悲惨さを訴える表現手段になることは無いと言っていいでしょう。

<アメラシアン :ベトナム戦争2>

 ベトナム戦争時代にアメリカ兵とベトナム人の間にできたハーフたちはアメラシアンと呼ばれています(フィリピンの米軍基地周辺のハーフたちも同じくアメラシアン)。戦争終結後にベトナム人妻子とともにアメリカ本国に引き揚げた例よりも、妻子をベトナムに置いてきぼりにしたケースのほうが遥かに多かったようです。また父親が特定できずにアメラシアンを産み落とした娼婦たちや兵士にレイプされた上に不如意に子供を産んだ女性もいます。こうしたアメラシアンたちは青い目であったり、髪の毛の色がブラウンであったりして身体的特徴が顕著なので、戦後すぐに大きな問題になり、アメラシアンをアメリカが引き取る協定が結ばれました。アメラシアンの認定はもうほとんど終了しており、十数万人のアメラシアンがすでにアメリカの市民権を得ています。現在サイゴンのアメラシアン収容所に滞在している孤児たちは、アメリカ兵が父親であると立証できない子供たちです。外国の兵隊にレイプされてできた子供であるのは確実であるのだけれどもDNA検定はアメリカ人の特徴が出てこないケースもあります。ベトナム戦争にはタイや韓国なども派兵しています。彼らの子種であればアメリカ人の特徴が出てこないのは当り前ですが、母も子も犠牲者であることには違いありません。彼らはアメラシアン的優遇をアメリカ政府から受けられるように認定を求めています。そして戦闘や爆撃で親を失い孤児となった子供たちの数はアメラシアンよりも多いことは言うまでもありません。

 ベトちゃん、ドクちゃんがアメリカのエージェントオレンジ(枯葉剤作戦)の犠牲者であることがマスコミに喧伝されて久しくなります。エージェントオレンジを展開した側の米兵や韓国兵にもその後遺症が表れています。しかし枯葉剤=ダイオキシンとの因果関係を立証するのに相当の時間を費やしています。その点アメラシアンは青い目、金髪、などの確たる証拠を突き付けられたのでアメリカ政府も即応せざるを得なかったのでしょう。

ちなみに日本軍の場合は、同じモンゴリアンなので身体的特徴が顕著では無く、表面化せずに産み捨てにされたケースが多いようです。しかし現地には忌まわしき記憶と「血」が残っています。そして現在もフィリピンのジャピーノなどの問題を作っています。

<ポルポトの死の謎 :カンボジア紛争>

 インドシナ紛争を考える時にクメールルージュを避けては通れません。クメールルージュによる1975年のカンボジア解放は何だったのか、を検証する動きが盛んです。ポト派の国際法廷問題もその一連の動きです。しかし主役とも言うべきポルポトが死んでしまったのは残念です。存命の内に彼の口から直接にいろんなことを確認したかったと思う人はたくさんいます。逆に彼に真実を話されると困るという人も多くいるはずです。ポルポトは死の直前に亡命もしくは投降を決意していたと噂されています。彼の死の2日前にもアメリカ政府はタイ、中国などにポルポトが亡命してきたら、亡命、投降を受け入れずに「逮捕」するようにと圧力をかけていました。

 そんなことでポルポト毒殺説がまことしやかに流れるようになりました。ではだれがポルポトを毒殺したのか、いろんな推理が流布しています。

1、ポルポト派幹部犯人説

    ポルポトひとりに責任を押し付けて自らの責任回避をした上で現政 

    権に投降するため

2、タイ、中国軍部暗殺説

    ポト派支援の内幕を暴露されると困るから

3、シアヌーク(王室擁護派)犯人説

    クメールルージュのカンボジア解放(1975年)直後、国境三派 

    連合時代などシアヌーク国王とポルポトが蜜月時代を過ごしたこと 

    は幾度かあります。クメールルージュの力を暗に政治利用してきた

    のはシアヌーク本人です。ポルポトに対するシアヌークの発言も二

    転三転しています。ポルポトがシアヌークとの密約のようなものを

    バラせば、国王の信望も失墜するかもしれない、、

4、フンセン指令説

    ポルポトが再びカンボジア政治の表舞台に(犯罪人としてでも)登

    場してもっとも困るのはフンセン首相です。フンセン自身もクメー

    ルルージュの地方司令官であったことがあります。生殺与奪の権を

    持っていたポト派投降志願者ポルポトは葬るべし、との暗殺指令が

    出たとしても不思議ではありません。

5、CIA暗殺説

   ポルポトに真実を語られて困るのはアメリカ政府も同じです。なぜイ

   ンドシナ紛争が起こったのかを一から掘り起こしてみれば、アメリカ

   とて正義面できないはずです。

6、、、、、誰か、ポルポトの死のミステリーに挑戦するジャーナリスト、

   作家、TVマンはおられませんか。

 

<青春の発露を戦闘に求めた日本人義勇兵 :ビルマ>

 カレン族独立の戦闘はミャンマー軍政とカレン族の間で1945年以来50年あまりも続いています。自ら銃を持ちカレン族の義勇兵として参加していた日本青年N君がマラリアで死にました。彼がなぜカレン軍に参加したのか、聞いたことがあります。「当初はカレン族に特に思い入れがあったわけでは無く、日本に青春をぶつける発露が無かったから、、、」とはにかみながら答えたのを覚えています。「それにしても銃を持たなくても、、、、」と懐疑的に接する私と一緒にビルマ国境のジャングルを1週間程歩いたことがあります。医療施設の無い山岳部を巡回するカレン人医師の移動診察をぜひとも自分の目で見て欲しい、という彼からの連絡で6ミリデジカムを持ちこみました。薬品類も彼の交渉で日本から送られてきたものでした。

彼の生き方の是非はともかくとして、彼の有り余るエネルギーの発露になっていたことは事実です。彼がマラリアで死んでしまって、件の6ミリを家族に渡そうか、それとも彼の遺志通りにカレン族の困窮する医療事情を世に伝えるために追加取材していこうか、と悩んでいます。

<尽きない戦争というカルマ>

 百人百様の戦争体験があると思います。百地百様の戦況もあります。南沙諸島、スリランカ、印パ、、、、見知っている話だけでも語り始めれば紙面が尽きません。とりあえずここで筆をおきます。

 犠牲者に黙祷を捧げます。合掌。



1.大蜥蜴の卵で精力増加!?

 ナコンプラトム県の村長によると「大蜥蜴の卵」を食べたら精がつきます。この話が広まり大勢の人は卵を買いに殺到、この卵が少なくなりました。そこで、彼は薬草と混ぜて丸いものをつくりました。しかし、まだ足りないようです。(タイラット紙7/2より)



2.薬草ジュースの盛況!
 これも不景気のためです。厚生省は節約するために国民に自分の健康を大切にさせる運動を支援する政策を進めています。輸入されている薬の代わりにタイ自国の薬草を使用するようになる運動も行われています。特に今関心を持たれるのは炭酸飲料の代わりに薬草のジュースを飲むことです。



3. 何だって?「STAR WARS」タイで失敗! 

 今「STAR WARS」世界中で大活躍中ですが、不景気のタイにとっては自国の映画を見るの方が楽しいんでいるようです。今「STAR WARS」より人気が集まっている映画は「ナンナーク」という映画です。この映画は100年以上前に実際に起きた話から作られました。内容はお化けの妻と人間の夫の恋愛についての話です。これからもタイ昔話の映画がどんどん作り出されるらしい。



4. 一人よりいい...
 ナコンパトム県 のお寺で、ある賢い犬は犬主に風船を販売するのを手伝っています。(Reauterより)



5. 世界第1善良銀行!!
 バンコク県内にあるソーマーパーヌッソン小学校の先生は学生に善良なことをするために校内で善良銀行を創業しました。学生はいい事をしたら銀行に色々な点数のポイトカードをもらいます。その代わりにも、賞と両替することができます。一方、悪い事をしたら貯めたポイトも引かれます。学校側はこの銀行が全国の学校で営業することができるのを希望しています。日本の学校でも今流行っているheaven passportを作り出した方はこのアイディアについて興味があるそうです。(シーウィットンスー誌No.350より)


6. 職業学校生乱闘事件多発
 タイでは職業学校の学生による乱闘・傷害事件が相次いでいる。路線バスに乗っていた学生がライバル校の学生に射殺された事件はタイのマスコミでも大きく扱われたが、この学生同士はまったく面識がなく、ただ敵対校の学生というだけで命を落とすはめとなった。

五月十七日の新学期以来、都内及び近郊地区では八人の学生が同様の事件に巻き込まれ死亡するなど、学生らの暴動が止まるところを知らない。関係者によれば、七月後半から八月始めは不良学生にとり「新人事」の季節とのこと。つまり「引退」する先輩が「功績のあった」後輩をリーダーに任命するというわけだ。このため、この時期は例年、功績をあげようとする不良たちの活動が一層活発になり、特にライバル校同士の抗争が激化する。  バンコク週報より



7.渋谷のアジア料理店はタイ人の怒りを爆発。
 この店は若者に大人気で、店内に珍しい様々な物で飾られています。しかし、仏教徒であるタイ人にとっては我慢できないのはトイレの壁で仏像を掛けられています。(タイラット紙8/11より)


8.百姓の歌を聴かせる…
 アヒルに太らせるための新しい方法。ナコンパトム県の村長は毎日夕食の時にアヒルに百姓の歌を聴かせると彼らたちは喜んでたくさん食べられます。それで、彼のアヒルは普通より元気になって太っています。(タイラット紙8/13)



9. 携帯電話でガソリンスタンド爆発?
 これは、高温多湿で通風性が悪い立地条件にあるガソリンスタンドで携帯電話を使用した場合、引火する可能性があることを、ある科学者が発表したため。実際に、中国とインドでは、携帯電話の電波が原因と思われる爆発事故も起きている。このため、モービルとエッソでは、世界中のガソリンスタンドに対して、給油中の顧客には携帯電話の使用禁止を呼びかけるよう求めている。すでにアメリカでは、ガソリンスタンドでの携帯電話使用は禁止する方向で安全基準が見直されつつある。ついには、携帯電話のスイッチ自体を切るよう顧客に求めるガソリンスタンドも現れた。

10. エイズ注射魔をついに逮捕「女が怖がる姿を見たかった」と自供
 若い女性が注射器を持った男に襲われる連続事件で、容疑者の男を逮捕した。オートバイに乗った男が背後から近づき、「エイズ、エイズ」と叫びながら臀部や太股などに注射器を突き刺し逃げる事件が発生していた。このため、刺された女性はパニックになり、若い女性たちは夜歩くの恐れるようになっていた。警察では、事件の起きた場所はラマ9世通りのロイヤル・シティ・アベニューの近くのため、この若者の夜の遊び場として知られる一角でエイズを移された男が、この地域に遊びに来る女性を逆恨みした犯行とみられていた。

しかし、逮捕された容疑者(ガードマン、33歳)は、女性が恐怖に怯える姿が面白かっただけで、エイズにも性病にも感染していないと証言。また、先月25日、ホアマーク区で若い女性が男に注射器のようなもので刺されたとの被害届が出ている。襲われたのは帰宅途中のバスの中で、犯人の男は20代の店員のような服装をしており、先に逮捕された容疑者とは別人だったという。警察では、先の事件を真似た悪質ないたずらと見ている。



11. 東部地域に洪水被害広がる
 大洪水に襲われた東部のブラジンブリ、チャンタブリ、トラート県では道路網が寸断され通行不能、そして被害総額は3億バーツ(10億円)に達する見込み。




インドネシア
 東ティモールの住民投票が延び延びになっています。バンダアチェなどの摩擦も激しくなってきていると聞きます。総選挙の結果をうけて、スカルノ初代大統領の娘、メガワティ女史が大統領になる公算が当然高いのですが、地下では連立工作で逆転をねらう画策もあるようです。スハルト時代の膿がこの期に一掃されるのか、民主化勢力は期待しています。スハルト時代の膿といえば、日本の援助も無縁ではなく、今後、糾弾の俎上にのぼる可能性があります。



ビルマ(ミャンマー)
 ビルマの8月は政変の季節といわれています。11年前の1988年8月8日、8並びの日の蜂起と弾圧が民主化勢力の記念日になっており、毎年8月には軍事政権が厳戒体制に入ります。民主化勢力は弾圧を承知でこの時期に反軍政活動を行います。



カンボジア
 フンセン首相の甥が殺人事件を起しました。カジノにからむイザコザで発砲し、もめ事の相手を殺してしまったのです。首相の甥といえども恩赦されることなく(以前なら恩赦されていた)裁判にかけられるようです。司法にも圧力をかけることのできる実力者フンセンが公正な立場をまもるのか、裁判の行方が注目されています。


日本はもう随分暑いようですが、こちら冬のオーストラリアではスキー・スノーボード・シーズン真っ盛り。ただ私共のオフィスがあるゴールドコーストはもう大分暖かくなってきました。今年は春がやってくるのが早いかも知れません。春といえば野生の動物の活動が盛んになる時期。ゴールドコースト沖にはもうクジラが姿を現しています。春はロケのネタがいっぱい。今から乗り遅れないように、おもしろネタをお送りします。



1.クジラの歌声
 ホエール・ウオッチングでもっともポピュラーなハンプバック・ホエール(ザトウクジラ)は、地球上で最も長くバラエティにとんだ歌を歌う動物と考えられている。クジラには人間のような声帯があるわけではく、体内にある管の中に空気を出し入れして音を生み出す。歌うのはオスだけで、特に繁殖期には10〜15分の歌を何時間も休むことなく繰り返し歌い続ける。南極大陸から暖かい海に北上してくるクジラを毎年追い続けているリサーチ・グループによれば、クジラの歌は地域によって特徴があり、同じ歌が他の地域のクジラによって歌われることはなく、しかもその歌は毎年少しづつ変化していくのだという。

2.ナッツというオパール
 オパールといえばオーストラリアの特産品。世界の総産出量の95%以上を産出する。オパール・フィールドと呼ばれる産出地帯に点在する鉱山の多くは今日ほとんど企業化されているが、そんな中にいまだに個人によってのみ採掘されているオパールがある。辺境の地のこの町の定住者はわずか数十人。住人はみんなユニークな人ばかり。さらにユニークなのはここでしかとれないナッツと呼ばれるオパール。土にまみれた砂岩や鉄鉱石のナッツ(実)を割ると中から光り輝く美しいオパールが現れる。しかし、どんなにプロでもナッツを見つけて割ってみるまでは中にオパールが入っているどうかは分からないのだ。

3.下着を置いていく酒場?
人口150人のある小さな町に変わった酒場がある。大きな町と町をつなぐ幹線道路沿いにあるため、多くの旅行者が立ち寄るこのバーには、旅行者が残したブラジャーやトランクスなどが壁一面に貼り付けてある。かつてカンタス航空が小さな一ローカル航空であったときの定宿であり、酔ったスチュワーデスがブラジャーを脱いで壁に貼り付けたのが始まりとか。今では、酒代を払えない者や、ビリヤードで負けた者が下着を脱いで置いていくという暗黙のルールができてしまったようで、その数は増える一方。下着の他にも海外のお金やムチ、ロープなど通りがかりの旅行者が思い思いの物を壁に貼っていく。

4.アウトバック・フェスティバル
 9月末に開催されるアウトバック・フェスティバルは2年に一度の熱狂的なイベント。広大な荒野で牛を追うストックマンや人里離れた土地で鉱物を掘るマイナー達が一堂に会し、1週間以上にわたって日頃のうっぷんをはらす。面白いイベントが多く、ブッシュ・オリンピックやトラック引き競技、ブッシュマンの卵投げ&キャッチ・コンテスト、さらにはザリガニのレースなんていうのまである。極めつけはダニー・ダービー。今年は国外からの参加もあり世界大会となったこのレースは、便器の上にひとりが座り4人が引っ張って250mを走り抜けるというもの。今年を逃すと次のチャンスは2001年。必見!

5.ストーム・チェイサー 嵐を追いかける人
 スケールの大きい大自然が残るオーストラリアでは嵐も壮大で時として大きな災害をもたらすことも。こうした嵐を追いかけることを趣味としている人々をストーム・チェイサーと呼び、今ちょっとしたブームを巻き起こしている。子供の頃、落雷や暴風、台風で押し寄せる大波をワクワク、ドキドキしながら見つめた記憶を持っている人も多いはず。彼らを駆り立てているのはまさにそのスピリット。ストーム・チェイサーの中には竜巻だけを追いかけている人や、落雷ウォッチャーなど専門分野があって、昨年には各州にいる数十名の愛好家をネットワーク化し協会が設立され情報交換を行っている。



6.トルネード・ハンター
 上記の協会設立の中心となったのがX氏。彼の専門分野は竜巻。職業はペインー。西オーストラリアに住み、若い時に自宅付近を襲った竜巻を体験したのがきっかけとなった。従来オーストラリアでは竜巻(トルネード)は起きないというのが常識だったが、彼の活動はこの常識を覆すことにさえなった。竜巻の追跡を始めるのに彼は色々なデータを集めその発生を予測する。追跡は時として大変な危険をともない、自分なりの方法を確立するのに5年かかったという。彼いわく「嵐のパワーは強大でその前では人間の建造物などちっぽけなもの。我々人間は大自然のほんの一部のスペースを貸してもらっているにすぎないということを思い出させてくれる....。」

7.オーストラリア人のシンボル・アカブラハット
 アカブラと聞いてすぐに分かる人は相当のオーストラリア通。分からない人でも絶対に見ているはず。グレッグ・ノーマンやポール・ホーガンが映画「クロコダイル・ダンディー」の中でかぶっている帽子がそれ。このアカブラはオーストラリア独自のもので、言ってみればオーストラリア人のシンボル。この帽子をかぶっていればオーストラリア人と思って間違いない。アカブラはキアー一家によって5代にもわたって作り継がれているオーストラリアの代表的なファミリー・ビジネス。キアー一家は戦前・戦中・戦後を通し既に200万個以上のアカブラを送り出している。実はデザインも90種類くらいあるのだ。

 

 

8月5〜15日  世界音楽舞踊祭(タイ文化センター)

8月29日    ソンクラ−国際マラソン(ソンクラ−県)

9月4〜5日   ピチット、ボートレース(ピチット県)

9月7〜11日  ウンプラダムナム祭(ペチャブン県)

9月18〜19日 ピサヌローク、ボートレース(ピサヌローク県)

9月21〜25日 ボートレース、ナラティワット、鳥の鳴き声コンテスト