プミポン国王 クーデター タクシン首相 タイ
2006.9.30発行 アジアのニュース
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![]() 「予定調和のクーデター」
9月19日夜、タイでクーデターが起こりました。 現在、主導者ソンティ陸軍司令官を民主改革評議会議長とする軍による統治下にあります。現行憲法の停止、国会や内閣の無効を布告した民主改革評議会は10月初旬までに暫定首相を決め暫定憲法を発行し、一年後に総選挙を行い、民選政府に移行すると発表しています。 いまのところ大きな混乱や表立った反対もなく、国連総会出席のためニューヨークにいたタクシン前首相は帰国せず、娘が留学中のロンドンに身を寄せています。タクシン前首相の側近たちも次々に更迭されていますが、主のいない烏合の衆には軍に抵抗するパワーはありません。 タクシン前首相と権益を共有していた内外のビジネス・パートナーなどは大変でしょうが、治安面に関してはしばらく平穏でしょう。 しかし、問題はこれからです。民主改革評議会は民政への早期移管を発表していますが、その過程で軍の独断専行が極端に行われたりすると民主改革評議会に対する抗議行動が起こり、過熱する可能性があります。 15年前の1991年2月23日に起こった前回のクーデターを思い起こしています。 スントーン国軍最高司令官(以下、肩書きは当時)やスチンダー陸軍司令官などが首謀し、インドシナを戦場から市場へという名ゼリフを残したチャチャーイ・チュノワン首相の身柄を拘束しました。表向きにはチャチャーイ政権の腐敗を糾弾する大義名分を唱えていましたが、実際には首相の軍首脳人事介入への反発がきっかけです。そのときも今回のように無血クーデターでした。チャチャーイ首相は2週間後に身柄を解放されています。首相が拘束されていた空軍基地から顔を出したときに私も現場に行きましたが、「外で吸うタバコはおいしい」と紫煙を燻らせていたのが印象に残っています。 流血騒ぎになったのは、その一年あまり後の1992年5月のことです。 クーデター勢力NPKC(国家治安維持団)は、元国連大使で経済界にいた文民アナン・パンヤラチュン氏を暫定首相に任命し、1991年12月に新憲法を発布、翌年3月22日に総選挙を行いました。 総選挙の結果、正義団結党のナロン党首がいったん首班指名を受けます。しかし、ナロン氏にはアメリカが難色を示し、麻薬密売疑惑を理由にタイへの援助打ち切り圧力をかけました(その辺の真相は別のところにあると思います)。そこで首相の名乗りを上げたのが、クーデター実行者のスチンダー陸軍司令官でした。 スチンダー首相は選挙で選ばれたわけではなく、1991年憲法で定められた軍に与えられる国会議員枠での資格です。これでは民主主義と言えないと有識者や文化人、学生などが叛旗の烽火をあげました。スチンダーへの抗議が過熱し、収拾がつかなくなったところで軍が出動し、民衆に無差別発砲したのが「血の5月事件」です。 1992年の民主化騒動の収拾は、プミポン国王の鶴の一声によって決着しました。スチンダー政権糾弾の先頭にたったチャムロン・バンコク都知事とスチンダー首相とが国王の前で平伏し合掌している映像はあまりにも有名です。 さて今回のクーデターに戻ります。 クーデターを起こしたソンティ評議会議長はイスラム教徒で、イスラム分離独立派の仕業とされる南タイ爆弾・襲撃テロ事件解決の切り札として、プレム元首相から陸軍司令官に推挙された人物です。重鎮プレム元首相は国王の側近であり、首相の立場を利用して私有ビジネスを増大させるタクシン前首相に再三警告を発していました。タクシンはソンティの陸軍司令官就任に難色を示したものの自分では抑えきれない南タイ問題のために、ソンティの就任に合意しました。ソンティ評議会議長、プレム元老、国王というダイレクトのラインが、そこにあります。 政局が混迷するなかで、プレム元首相はタクシン前首相に何度か禅譲を進めたフシがあります。また、4月にタクシン政権中枢にいたチャワリット元陸軍司令官がタクシンと袂を別ち、中立的暫定首相をたてるべきであると緊急談話を発表したのもプレム元首相との会談直後のことでした。国王自身も誕生日スピーチなどで、タクシン前首相のやり方を批難する発言をされています。それに対し「法を超越する“カリスマ”が民主主義を阻害している」と発言するタクシン前首相は、タイ近代政治史上初めて王室に対峙した政治家といえるかもしれません。政治の私有財産化をあからさまに行ったことは致命的な欠陥ですが、旧来の既得権益構造を脅かした存在であったことも事実です。 ソンティ民主改革評議会がそんな背景で動いている以上、無軌道に暴走することはないでしょう。また軍幹部が私利私欲に走らず、民政移管への手続きが国民の納得のゆく形でスムーズに行われれば、民主化勢力も言論統制や政党活動の制約などに対しての抗議をするぐらいで動乱に発展するようなことはないでしょう。 ただ、クーデターによる経済の落ち込みや現国王の健康状態など不安な要素もあり、予断を許しません。そんなときにタクシン待望論が出てくるような素地も残っています。 1992年のようなことになって欲しくないと願っています。 |
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