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日本一歩いた第三十七師団 |
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「1945年、、、私はバンコクから東に150キロ、タイのナコンナヨーク県に居た。ドリアン、マンゴー、マンゴスティン、バナナの葉で作ったタバコ、バナナを醗酵させて作った密造酒、水牛の肉、タイのお米、タイの山芋、ヤシの実、大きな声で“トッケー・トッケー”と鳴くトッケー(タイのトカゲ)、タイ人の微笑み、、、、、懐かしいな、、。」 久しぶりに日本へ帰省した私に、祖父はビールと日本酒を体に交え、ほろ酔い気分で懐かしそうにそう語ってくた。 祖父が属していたのは日本陸軍第37師団であった。同師団は1937年に編成され、中国山西省警備の後、中国各地、インドシナを転戦し、タイのナコンナヨークに駐屯中に終戦を迎えた。中国からタイまで延べ15000kmを歩き、日本陸軍史上最も歩いた師団と言われている。 1945年8月、祖父が終戦の知らせを聞いたのはバンコクのどこかの公園だったそうだ。現地のタイ人たちが皆、にやにやしながらこちらを見ているのでおかしいな?と思っていたら、日本の敗戦の知らせが届いていたそうだ。そして、その瞬間から祖父たちは俘虜となり、ナコンナヨークにあった、日本軍の捕虜用宿舎に入り、日本からの迎えの船が来て復員するまでの10ヶ月間、タイで過ごした。米だけしか配給されないため、イギリス兵の監視があるものの、朝夕の点呼の時以外は自由なので、山芋を掘ったり、果物を集めたり、バナナの葉でタバコを作ったり、お酒を造ったり、と色々な知恵を使ってタイの生活を生き延びたそうだ。 そんな厳しい俘虜生活に嫌気がさした日本の兵隊の中には、俘虜所を逃げ出し現地の女性と結婚しタイに住む道を選ぶ人も出て来たため、そんな人たちが出ない様に、祖父たちは毎週1回山の中で、 芝居、舞踊、歌謡曲、博多にわかなどの演芸会を開き、皆で楽しみを作りお迎えの船が来るのを待ったそうである。 1989年にはナコンナヨークに、地元の温かい協力で慰霊碑が建てられ、翌年にはシリントーン王女の参拝を受けている。 祖父の思い出の地がまさか現在住んでいるこのタイにあったとはつゆ知らず生きて来たが、これも何かの縁。今度、機会があったら是非その地を訪れてみようと思っています。
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