The India photography coordination televisionベ

インド

HDCAM

DVCAM

 

 - by M.K -

39Topへ

 

「ボクもインドで考えた」

 

 久しぶりにインドに行ってきました。

 訪れたのはコルカタです。

 インドでは、カルカッタはコルカタ、ボンベイはムンバイ、マドラスはチェンナイというふうに英国植民地時代に命名された地名を旧来の呼び名に変更しています。

 インドで初めて地下鉄が開通した町コルカタ。

 空港近くのゴミ埋立地では、メガ・シティやソルトレーク・シティと名づけられたITタウンの建設が始まっています。また、市内渋滞を緩和するための高架道路建設も進んでいます。

 しかし、路地の奥や橋の下に一歩でも踏み入れると、そこには都市名の変更やITや開発プロジェクトとは無縁な貧民たちがその場しのぎの糧を求めて蠢いています。

 今春に行われた総選挙の名残りでしょうか、街角のあちこちに鎚鎌(つちかま)のマークが見えます。コルカタのあるベンガル州では、下院40議席のうち36議席をインド共産党が占めました。ケララ州とベンガル州は共産党が強いところとして知られています。

 階級闘争をテーゼとする共産主義に人気が集まるのは、この地の厳然としたカースト制度への裏返しの結果なのでしょうか。しかし、乞食は乞食として、金持ちは金持ちとして社会構造をつくっている頑固なインド社会が一朝一夕に変わるとは思えません。

 無医村へ訪問する移動クリニックのグループを撮影しました。

 その出発準備風景。ドクターはスタッフが診療機材を車に積み込むのを椅子に座って見守っています。ディレクターがドクターに積み込みに参加するように促すとインド人の通訳が慌てて制止しました。ドクター(という階級)はそんなことをしてはいけないというのです。

 スタッフは下働きをすることでその役割を甘受しています。ドクターは泰然自若としていることで威厳を維持しています。こうした暗黙の了解が長年にわたって続いて、お互いに不可侵の領域ができてしまったのです。

 高級ホテルでリストラが始まっていると聞きました。一人でできることも数人で役割分担していたために非能率だったためだといいます。例えばレストランでお客がコップの水をこぼしたとします。それを見た客席マネージャーは、自分でテーブル・クロスを換えるのではなく、テーブル・クロス係りを呼んで換えさせます。コップが割れたとすれば、食器係りを呼びます。担当の係りがその場にいなければ、マネージャーは係りが見つかるまで待ちます。マネージャー一人で処理できることも厳格な役割分担が妨げて、まったく能率の悪いことが起こっていました。

 ホテルに較べたら、官公庁の非能率さは極めつきでしょう。

 ひとつの認可案件に十数の関連部署担当官のサインが必要というのは当たり前ですから、書類を申請して認可が下りるのを待つのは気の遠くなる話です。むかし、あるセレモニーのために日本酒の樽をコルカタの港まで船で運んでもらったのですが、その引取りのためにコーディネーターは通関へ日参し粘り強く交渉しました。結局セレモニーには間に合わず、樽が手許に届いたときには中味が酢になっていたという笑うに笑えない話がありました。

 インドでは1990年代初頭から、それまでの自国完結型経済、保護貿易主義を改めて、開放型経済路線を取っています。おそらくイギリスの植民政策への反駁意識からネルーらが取り続けた自己完結型社会政策は破綻しました。その効果は、十数年たって少しですが個人レベルでも実感できるようになってきました。外貨の持ち込み、持ち出しに関しての空港でのチェックも随分と簡素になりましたし、撮影機材を持ち込んでもバンク・デポジットやカルネなどを用意しなくても問題なく通れるようになりました。また、ホテルでリストラが始まったのも外資系ホテルが多く投資しはじめたからでしょう。

 インド人は議論好きです。インド人は考察好きです。

 イギリスがアジアに資源を求めて軍艦でやってきたとき、インド人はその対応を考察し、議論しているうちに、気がついたら植民地になっていたというぐらいに考察や議論が好きです。スラムや貧民街に行っても哲人の目の輝きを持つ人が、そこここに存在します。彼らといったん議論を始めたら、こちらがぐうの音もでないくらいにコテンコテンにやっつけられそうです。

 ところが、それくらい頭のよい彼らが、カルマ(業)やサガ(性)といった曖昧模糊とした観念に考察の帰結を見出したりすると、う〜んと唸ってしまいます。それなら、議論を止めて最初から、すべての事象をカルマやサガだと決めつけて置けば簡単ではないかと天邪鬼に考えてしまいます。そのへんのインド的感覚というのが、時に不可解です。

 不可解ついでに、心霊師サイババについて少し。

 そのインチキぶりを直接に取材したことのある友人から聞いているので、私は騙されないぞというフィルターをかけて見ています。思想・信条・宗教の自由は誰にもあるはずなので、サイババの人気について非難するつもりはありません。しかし、インド原子力研究所の職員・研究員の多くがサイババの熱心な信者であるということを聞いて驚いています。オーム真理教事件もそうですが、科学者はインチキ心霊師に弱いのかもしれません。サイババが変な野心を抱かないことをひたすら祈っています。

 話がそれてしまいました。 

 混沌としたコルカタの雑踏を歩いていると、ああでもない、こうでもないと普段考えないいろんな雑念が浮かんできます。混沌のインドは旅人の頭も混沌とさせてしまいます。インドは、そういう雰囲気のあるところなのかもしれません。

 そのことがインドが旅人を惹きつけてやまない理由のひとつなのでしょう。  

 

39Topへ

Vol.39目次