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「鳥インフルエンザ」 2004年2月
鳥インフルエンザが話題を独占している2月7日、バンコクの王宮前広場で、タクシン首相やサマック都知事がタイの有名なタレントを集めて、鳥肉や卵は熱処理をキチンとすれば100%安全であるというパフォーマンスを行いました。農業国タイにとって、養鶏業や鶏肉産業の大打撃は、国家経済の浮沈に関わる問題です。タクシン首相が、鳥インフルエンザに人間が感染して死亡すれば、私費から300万バーツ(約900万円)の補償を出すと公言したのも判ります。主要な鶏肉輸出先・日本が禁輸を決め、クロントーイ港に輸入をストップされた日本向け鶏肉の冷凍コンテナーが山積みに放置され、タイ政府高官が「日本は公害を生み出す自動車などをタイに輸出しているのに、熱処理して安全な鶏肉の輸入を拒んでいる。これは日本のエゴではないのか」とコメントをするなど、日本とも深い関連のある話です。 雪印乳業事件や京都の生産者組合が半年前の生卵を市場に出荷した事件などとは違って、今回の災禍には同情を禁じ得ません。 生活者や消費者へのアピールというよりは、打撃を受けている畜産・食品業者への人気取りに見えるタクシン首相のパフォーマンスを撮影しながら、デジャ・ビュ(既視感)に捉われたのは、近年、世界中で似たような話が続いているからでしょう。 O-157、狂牛病、口蹄疫、SARS、鯉ヘルペス、…。 カイワレ大根や牛丼を食べてみせたり鶏肉料理を作ってみせたりすることは、市場対策であって、疫病の発生と流行という問題は解決しません。こうした機会に、生産効率のためだけに家畜や農作物に無秩序に化成肥料を与え続けてきたことなど根本的な問題に取り組んでほしいものです。そうでなければ、鳥インフルエンザ渦が去っても、きっと次に別の疫病で騒ぐことになります。原因は、鳥や動物、ウイルス側にあるのではなく、人間側にあるという気がします。また、以前書いたように(スパイシー・たいらんど「鰐と鮫」2001年3月)牛肉や鶏肉が駄目だからワニの肉が持てはやされるというのでは、ちょっとゾットします。 さて、アジアでは鶏や卵が疫病払いや悪魔払いの呪術儀式に多く使われるようです。 ネパールの無医村を訪ねたときのことです。
高熱を出して病気に臥せる子どもの治癒を願って、村のシャーマンが疫病払いの呪術を執りおこなうのを見ました。生け贄は、鶏です。太鼓を叩き呪文を唱えながら、悪霊を鶏に憑依させ、最後には鶏の首をかき切って、病魔を退散させるという儀式です。 これと同じような儀式をカンボジア・ラタナキリの山岳民族の老婆が行っているのを見たことがあります。またインドネシア、スリランカなどでも似たような呪術があると聞きます。 ![]() ![]() 長野県の友人は、幼い頃に老人が鶏の卵を体の悪いところに当て、「ふ〜」「ふ〜」と息を吹きかけて病気が治るように願をかけたといいます。 ![]() トリの犠牲を持ってヒトの病を治すというのは、かなり都合の良いことですが、草木虫魚と直接無媒介に生きてきた昔の人々は、家禽に何か共通のイメージを抱いていたのかもしれません。少なくとも、鶏にヒトの命に代わり得るものとしての価値を与えていたようです。 ところが、鳥インフルエンザの感染を恐れて何万羽もの鶏が扼殺されている映像を見ていても、生き物としての鶏という実感がなかなか湧いてこないのです。いたずらなどで一羽の鳩や鴨に矢が刺さっていたりするとマスコミをあげて大騒ぎなのですが、鶏はモノとして取り扱われています。この感覚矛盾に自分で驚き、鳥インフルエンザはモノ扱いをしていた鶏からヒトへの逆襲ではないか、という妄想に捉われ始めてきました。 タイでは体に這ってきた蟻を叩きつぶさずにそっと地面に戻してあげるくらいに仏教思想が浸透していると喧伝するゴマすりガイドは信用しません。寺院で、徳を積むために鳥を籠から解き放ち、亀や魚を放流しているのをみると、それなら最初から鳥や魚を捕獲するなと思ってしまいます。しかし、僧侶たちが鳥インフルエンザ騒ぎで犠牲になった鶏の成仏を願って読経しているという話を聞いて、感覚矛盾に陥っていた私をハッとさせました。 受刑者や兵隊に何万という鶏の扼殺を任せ、鳥インフルエンザに万全の対策をとっているから鶏肉は安全だとアピールする首相のパフォーマンスよりも、生きとし生けるものの生命を慈しもうという僧侶の講話の方にウンと頷いて、鶏の命の代償である鶏肉を大切に口にしています。鳥に病気が蔓延するようにした人類の罪を噛みしめながら…。 (MK) |
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