2001.3.15発行


 

 

 最近日増しに暑さを増してきました。日頃から『シンハー』などのタイビールが美味しく飲めるのですが、ここのところそれにも増して一段と美味しくビールが飲める季節です‥

 さて、今回は機材の話です。

 日本から撮影にやってくるみなさん機材はどうしていますか ?カメラ、ミキサーなどいつも使い慣れているものを使いたいと言うのはよくわかります。    
 しかし、タイでNTSCのカメラ400クラスはGPA以外には私の知る限り2台あるだけです。
 ただ映画やCM撮影は盛んなので特撮用のクレーン、レール、ドリー、また照明機材も日本に負けないくらいそろっております。
 たとえばドラマの撮影をするとしましたら、日本で使っているような機材が日本より安く簡単にそろえられます。もちろん現場までの輸送及びセッティングをする人込みです。普段のロケで使うような、ライト各種、レフ他、ほんとに色々あります。
 おおがかりな撮影(映画、ドラマ)なども機材の心配はいりません! 発電機、、電源車も、もちろんあります。
 映像にちょっとしたアクセントを付けたい時に日本から持ってくるのは大変ですよね。
お金もかかります。そんな時に『タイで色々な物がそろうんだな〜』という事、そのすべての手配はGPAバンコクオフィスに言えばいいんだなと、頭のすみにでも入れておいていただければ幸いです。
 またみなさんが海外で撮影する時には初めての国であれば特にロケハンをしたいですよね。そんな時は我々バンコクオフィスのように地元に根づいた技術クルーを使っていただければ、あらゆる撮影ポイントにお連れする事が出来ます。なかなか入れない場所も私たちバンコククルーなら入れるメリットもあります。
 掲載の写真は王宮の横にあります裁判所屋上より撮影したものです。
 日本で言いますと皇居の横にある警視庁屋上より撮影しているような感じですが日本では、まず許可はおりないでしょう。
 私達が撮影した裁判所屋上も本当ならダメなところを現地クルーと言う事でコーディネイターさんが強引に説得し頑張ってくれました。
 そうなんです。現地クルーを使うと言う事は、現地コーディネイターともつながりが強いので、融通が効くという利点、そして経費が安く上がると言う事が一番ではないでしょうか!GPAバンコクオフィスも、これまで様々な番組、VPなどの撮影をしてまいりました。
 みなさんの御要望に答えるべくスタッフ一同お待ちしておりますので、お気軽にお声をおかけ下さい! みなさんとタイでお会い出来る日を楽しみにしています。

 次回のニュースレターは近隣諸国での撮影にも触れてみたいと思います! (大原)


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今月の内容



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

麻薬王の愛人

ゴールデン・トライアングルの麻薬王、クン・サーの愛人とされる女性がバンコク都内スクムビット通りのウインザーホテルに潜伏しているところをヘロイン所持で逮捕された。この女性はペン・フイ・ラン容疑者(五十四)。麻薬の運び屋とされる仲間5人とともに米麻薬取締局に逮捕され、ヘロイン1・4キロが押収された。クン・サーは94年に投降、現在はミャンマー政府軍の庇護の下、ヤンゴンでビジネスに精を出しているといわれる。愛人数人を囲っているとされ、ペン容疑者はこのうちの一人だった。  

 

アタック・ナンバー 1/2

昨年タイで大ブレイクした『サトゥリー・レック(鉄の女)』が3月下旬、いよいよ日本に上陸する。実在するおかまちゃんのバレーボールチームの活躍を描いた涙あり、笑いありの青春コメディー映画だ。公開に備えて主演のおかまちゃん三人組が日本に上陸、お色気たっぷりのプロモーションに走り回った。タイではこの映画でおかまちゃんたちが披露したチューブトップファッションが大流行、普通の少年が次々と女装をおっ始めて社会問題と化したほど。日本ではインド映画「踊るマハラジャ」がブレイクして以来、アジア映画の人気が急上昇しているが、はたしてタイもこの波に乗ることができるのか。

国策映画?

アユタヤ王朝時代のタイ軍とビルマ軍との戦いを描いたスペクタクル超大作『バーンラジャン』。壮大なスケールの戦闘シーンと残酷な殺戮シーンが話題になった。この映画で重要な役を果たしたのが一頭の水牛。数メートルにおよぶ長いツノを持ち、宣伝ポスターにも登場した。まぎれもない本物のツノである。しかし、過酷な撮影がたたったのかほっとしたのか、映画が封切りされた直後にぽっくり死んでしまった。写真はお葬式のワンシーン。はく製にされるというがなにしろこのツノ。相当な値がつくのは間違いない。ちなみにこの映画がヒットしている最中、北部国境で申し合わせたかのようにタイとミャンマーのドンパチが始まった。兵士の士気を高めるため、軍では『バーンラジャン』の上映会が行われたという。

万病に効く温泉

万病に効く温泉があるとの噂が広がり、全国中からカンチャナブリー県目指して続々と人々が集まっている。タームアイ郡のワンカナイ寺。寺の住職が夢のお告げを受けて地面をほりかえしたところ、温泉が涌き出てきたという。お湯の温度は42度で日本人にはちょうどいいが、タイ人にはちょっと熱いかも。日本の温泉とは違ってひとりひとりが区切りの中に横たわって入るようになっている。

 

紙たばこのジョニー

タイ国境沿いを活動拠点とするミャンマーの反政府組織ゴッド・アーミー(神の軍隊)がタイ国軍に投降した。この組織は不思議な神通力を持つ幼い双子の兄弟をリーダーとして祭り上げ、メンバーを統率していた。まだあどけなさの残るジョニーとルーサー。いずれも十二歳と報道されているが、ぱっと見たところせいぜい七、八歳にしか見えない。ニックネームは入れ墨のルーサーに紙たばこのジョニー。弾丸をよけたり姿を消したりすることができるため、どんな激しい戦闘に遭遇しても生き残ってきたという。二人はもうすぐ難民キャンプで生活しているという両親のもとに帰される。ようやく神の子から人の子に戻ることができたようだ。 

 

ニューファミリー

一介の警察官から実業家に転身、一代でタイ最大の富豪にのぼりつめた男、タクシン・チナワット。彼の率いる愛国党がタイ政治史始まって以来の単独過半数を制して総選挙で圧勝した際、大きく新聞紙面を飾ったのが彼の愛する家族たちだった。妻のポチャマンさんとは下積み警官時代からのつきあいで、実業家時代も陰でずっとタクシンを支えてきたとか。そしてその脇を固めるできのいいしっかり者の子供たち。顔がそっくりなのでいかにも仲のいい家族たちという印象を受けるが、実際かなり仲がいいらしい。清貧のチュアン前首相が奥さんと籍を入れておらず、家族をほとんどメディアの前にさらさなかったのとは対照的だ。絵に描いたような幸せなニューファミリー。私が首相になれば、誰でもこんな家庭を持てるようになるんだよ。一般市民にそう思い込ませるだけの十分な効果はあったことだろう。ちなみに長男のパンテントー君はいま、若干二十歳過ぎにしてタイで最大の株長者である。

ブタオザルの悲劇

ひえー、ぬ、ぬけない!頭がぬけない!ヤシのカラに頭をつっこんだままあせりにあせりまくっているのは、チョンブリ県のサームムック山に住んでいるブタオザル君である。どうやら観光客の捨てたヤシの中に残った実を食べようとクビを突っ込んで抜けなくなったらしい。村人の話では、これまでにも何匹かのブタオザルが同じような目にあってノラ犬に食われてしまったとか。犬に襲われる恐怖におののきながら、目も見えず、ものも食えない。この地獄はいったいいかなるものか。あんまりかわいそうなんで村人がレスキューチームを結成、救出に向かったという

便乗

ヤシのカラが頭から抜けなくなったブタオザル君の写真が新聞に載った数日後、こんどはペットボトルの底をかぶったノラ犬君の写真が掲載された。犬が勝 手にこんなかぶりものを作るわけはないので、これはブタオザルの一件に便乗した誰かのイタズラだ。

あるいはネタに困った新聞社へ売り込みを図ったか。やらせもここまで来るとあっぱれといわざるをえないが、迷惑なのは動物たち。この次はいったい何をかぶった動物が出てくるだろう。

首相への警告

3月3日午後2時30分頃、離陸の準備をしていたチェンマイ行きタイ航空114便の前方部が突然爆発、機体が火に包まれて乗務員7人が負傷、1人が死亡した。乗客はまだ乗っていなかったが、タクシン首相が搭乗を予定していた便であったことからメディアは一斉に“首相暗殺テロ”の可能性を報じた。その後の調査で爆発物はC4(コンポジション4)と呼ばれる高性能プラスチック爆弾であったことが判明した。首相が爆発事故の約1週間後に北部チェンライで麻薬撲滅対策会議を予定していたこと、搭乗前に爆発が起きたことなどから、北部国境地域一帯を活動拠点とする麻薬組織の“警告”であった可能性が最も高いとされている。タクシン首相はその後、自ら爆発現場に出向いて現場検証に立ち会ったほか、10〜11日の麻薬撲滅対策会議も予定通り開催、脅迫に屈さない「強い首相」のイメージを鮮明にした。

新政権歓迎のロケット弾

ミャンマー政府軍は2月上旬、タイ北部メーサイの国境付近で少数民族の反政府武装グループのシャン国軍(SSA)に乾季攻勢を展開、タイ軍の駐屯地を占領したほか、メーサイにロケット弾を打ち込むなどしてきたためタイ軍がこれに反撃して数カ所で戦闘が起きた。これによりタイ人の民間人2人が死亡、兵士数十人が負傷した。その後も国境付近では小刻みな戦闘が続き、タイ・ミャンマー両軍の兵士にかなりの犠牲が出た。ミャンマーはタイの政権が変わると北部国境で戦闘を仕掛けて新政権の出方をうかがうことがよくあり、今回もそうした意味合いがあったものとみられる

■ミャンマー軍のタイ侵入

                           AKIRA

 

 ミャンマー軍がタイ領内へ侵入し、タイ北部ではタイ軍とちょっとした交戦状態となった。タイに政変があったときに、ミャンマー軍が「様子見」にタイ国内へやってくるのは恒例のこと、と言う人もいる。とはいえ、ミャンマーの正規軍の侵入は久しぶりだと思う。カレン族のゲリラとタイ軍との衝突は、しばしばではあるが。

 一応、ミャンマー軍の侵入の名目は、麻薬の密売を行っているシャン族の討伐ということである。

 

 このシャン族、タイ国内にも数万人が居住しているとされているが、本拠地はビルマのシャン州で、100万人以上の人口があるようだ。かつて、麻薬王のクンサーは、シャン族の独立を建前としてミャンマーの軍事政権に反抗、シャン州の一部をその支配下としていた。もっともクンサー自身は中国国民党の残党の中国人とも言われる。

 シャン族は、民族的にはタイ系であり、タイ語に近い言葉を話す。タイ語では、彼らシャン族のことを「タイヤイ」と言う。「大きいタイ」という意味だ。

 民族的な親近感というよりは経済的欲求のためであるだろうが、ミャンマー領内に住むシャン族たちは、国境を越えてタイへ出稼ぎへやってくることが少なくない。ミャンマーのシャン州とは接しているタイ最北端の県、チェンライ県のメーサイが、タイへの入り口となる。

 メーサイの国境は、両国の政治状態によって開いたり閉じたりしているが、ここしばらくは開かれており、外国人の往来も認められていた。

 しかし、そうした政治的事情とは関係なく、たとえ国境が閉じているときであっても、シャン族たちは国境を往復している。 

 もともと国境が開いているときであっても、正規には両国の行き来は出来ないシャン族たちは少なくない。国境の行き来はタイ・ミャンマー両国民には自由だが、彼らはどちらかの国民であることを証明するIDカードを持っていないことが多いのだ。

 メーサイのあたりでは、細いメーサイ川が両国の国境となっている。通常、両国間の往来は、メーサイと、ビルマ側の町であるタチレク間に架けられた橋が利用されているが、その橋からメーサイ川の少し上流を眺めてみると、小さな渡し舟が行き来しているのに気づく。IDカードを持たない人々(主にシャン族)は、その渡し舟で行き来しているのだ。船の料金はほんの数バーツに過ぎない。 もちろん密入出国であるのだが、あまりにもあっけらかんとしている。橋の両側にはイミグレーションがあり、両国の警官が駐在しているが、彼らの密入出国を取り締まる意志はないようである。

 今回の事件で、当然のことながらメーサイ・タチレクの国境は再び閉ざされた。表向き、メーサイにおけるタイ・ミャンマー間の民間交流は一時停止である。

 ところが、この緊張下においても、シャン族たちの国境の往来は完全にはストップはしていない。バンコクに不法滞在しているミャンマー出身のあるシャン人に訊いてみると、現状でも両国の警察官にそれなりの額を支払えば、問題なく国境の通過が出来るそうである。

 政府の事情は政府の事情、自分たちの事情は自分たちの事情というところか。警察官ですら、公的な事情よりも個人の事情(?)で動いている。やはり東南アジアである。

 ちなみに、歴史上ビルマ(ミャンマー)は何度もタイ国内に侵入してきた。かつて栄えたアユタヤ王朝を滅ぼし、アユタヤの町を廃墟としたのもビルマ軍である。現代でも、タイのテレビの歴史ドラマでは、ビルマとの戦いを描いたものが多い。両国は長い間、戦争を続けてきたのだ。

 それを思うと、今回のミャンマー軍の侵入も、両国間の長い争いの歴史の一幕のようにも思えてくる。

 


                  by Y・Miki

 

ホステスの裏話 

 今、タイを訪れる旅行者が急増しているという。ただ、過去における旅行者とは違いパッケージツアーで来る人は少なく、殆どタイ語も満足にできないのに「恐いもの知らず」で独り歩きするタイプだそうだ。それを裏づけるように、一人ないし二人連れの日本人旅行者をあちらこちらで見かけるようになった。また、そのほとんどが男性であり、タイ訪問の目的が何であるか誰の目にも一目瞭然なのが可笑しい。本人たちも別段隠す気持ちも無いらしく、夕暮れ時になると日本の居酒屋や飲み屋で隣に聞こえる位の大声で「昨日の女はどうのこうの」とか「女のサービスの割に高かった」や「今夜の店はあそこであの娘だ」と平気で会話している場面に出くわす。しかも、日本では決してこんな会話をおおっぴらにはしないであろう良識をもった社会人ですよ。なぜ、タイという国に来ると「ジキルとハイド」よろしく百八十度変貌できるのであろう?ましてタイ迄来て居酒屋は無いだろう、居酒屋は‥

私はいつも疑問に思っている。高い飛行機代とホテル代を払い日本料理を食べて女を抱きに来る価値があるのだろうか?そして買った女の品評会用の写真と自慢話を土産に意気揚々と帰国する人種の頭脳構造が私にはどうしても理解できない。

 もし、嘘だとお思いの方がいれば、今度タイに来て夕方の居酒屋を覗いてみるといい。これから同伴するホステスと食事中の組と、歓楽街に出陣前の腹ごしらえ、そして作戦を練っている組で店内はごった返してる所を目撃できるだろう。しかし、なんで日本の男性はなんであんなにもタイ女性を批評するのが好きなのか?そのほとんどが「商品の品定め」的な内容でタイ人が聞いたら侮蔑罪で怒るようなものばかり。奢れる日本人ここにあり!だな。

 さて、それでは逆にタイ人ホステスから見た日本人像とは如何なものであろうか?日本人旅行者の存在とは‥? 知合いのママさんやホステスに聞いてみた。「そうね、日本人は優しいよね。それに金払いもいいしお客としては最高ね」「しつこく無くていい。飲んでる時もあの時もね。変なプライドがあるかもね」「ファラン(白人)より料金が高くてもあんまり文句言わないよね。おねだりすると喜んでデートするしプレゼントも買ってくれるから嫌いじゃ無いよ、それに扱いやすいしさ」扱いやすいって‥??「ファランは結構シビアでいくら甘えても自分の好みの娘で無いとコーラ一杯おごってくれないけれど、日本人は友だちのホステスがついている席に行っただけでおごってくれたりチップをくれたりするでしょう、あれって私達から見ればただの見栄よねぇ」「そうそう、この間も日本人の客にケチと言ったら剥きになって怒っていたわよ。ファランだったら、そうそう、自分はケチ。そうそうとか言って笑って終わりなのに。日本人はプライド高いのよ」「それでも、何、怒ってるのかわからな〜い。なんて鼻声で甘えてほっぺにチュゥしてあげればすぐに機嫌は直るのよ、単純!本当は言葉わからな〜いのは貴方達日本人よ、ここはタイだってこと忘れているんじゃない?」「まぁ、うまく甘えておくと毎日でも通ってくれるのが日本人。どうせ短期の旅行者だから上手に立ち回って一ヶ月分のおこづかい稼いじゃうの」(笑)「あと、日本人相手のデートのテクニックもあるのよ」

…過激につき編集部削除…

「こういうのもあるのよ。私ら会計係はお勘定の時、合計金額を伝票に書くでしょ。その時にわざと汚い字で書くの、例えば1や4を7や9に見えるようにとか0を6に3を8に見せたりするの、もちろん聞かれたら本当の金額を言うわよ、でもお客が勝手に間違えてお釣りはチップになるのよ!タイは安いと思っているから本当は430バーツを980バーツに見間違えて1000バーツ置いてサッサと出て行ってくれるの、こちらはなにのも悪い事してないでしょ。分かった?」

 なんか凄い理屈だな。でも結局お金に任せて遊んでいる日本人が馬鹿なんだろうな。まだまだ、日本人に対する気持ちやテクニックを聞いたが、あまりに具体的すぎるのも恐いのでこの位にしておこう。いやはや、こうやってホステス達の生の声を聞くと彼女達が逞しく見えてくる。そして、私の勝手な結論としては彼女達は完全にビジネスとして割り切って日本人と接していることが良く分かった。

 夢を求めタイにくる皆さん!夢を追い過ぎて大火傷をしないように御注意!御注意!

         

 


 

鰐と鮫

 欧州での狂牛病や口蹄疫の影響で、タイ産のワニ肉の需要が世界で拡大しています。3月5日ロイターが世界に配信したニュース映像が日本でも流れたので御存知の方も多いと思います。取材を受けたシラチャーにあるワニ養殖業者は一躍有名になりました。

           

 翌日、野生生物保護グループがタイ近海でのフカヒレの採集禁止を要求、というニュースがタイ英字紙NATIONに掲載されました。アメリカのNGOがタイの著名な映画監督チャットリー氏などを巻き込んで、フカヒレスープを食べないキャンペーンを展開するといいます。

 ワニとサメ。どちらも御近づきになりたくない動物です。鋭い歯、表情が見えない上に獰猛そうな顔、…。相似悪形。その両者が、奇しくも同じタイミングで話題になったのです。この二つの正反対の話題(どんどん食べよう、食べるのを止めよう)について、タイ流スパイシーな味付けをして御賞味いただきましょう。

 狂牛病、口蹄疫など人獣共通感染症とされる疫病は欧州だけの話ではありません。

98年からマレーシアのネグリセンビラン州で日本脳炎状の病気が猛威をふるい数十人の死者が出ています。同州の豚の抹殺指令が出たことは記憶に新しいことだと思います。日本脳炎ウィルスは豚の体内で増殖し蚊を媒介して人に感染しますが、豚自体は日本脳炎を発症しません。ところがマレーシアの豚は過敏になり他の豚に噛みついたり、激しい咳と喀血を起こし死亡するケースが報告されています。実はマレーシアの日本脳炎状疾病は、日本脳炎ウィルスではなくヘンドラ様ウィルスが原因であることが判ってきました。

 

ヘンドラウィルスはオーストラリアで馬と人で致死的感染を起こし、1994年以来何度か報告されています。ヘンドラウィルスの自然宿主はオオコウモリで、人、馬、猫、モルモットなどが感受性動物です。豚も感受性動物であるらしいことが、マレーシアの豚騒動でわかりました。日本脳炎であると話題だけが先行したのですが、正しい処置(検疫と予防)が施されるまでには研究者の成果を待たねばならなかったのです(参考:山内一也東大名誉教授の連続講座 人獣共通感染症 霊長類フォーラム)。

タイのカラシン県で今年1月から300頭におよぶ牛が謎の感染症に罹って、タイ畜産業界は戦々恐々としています。しかし、一概に狂牛病(ブリオン病)、口蹄疫などと決め付けることは、マレーシアの豚騒動同様に危険です。ともかくも世界にはいろんなウィルスが蔓延しているのです。グリーンモンキーのエボラ熱、キタキツネのエキノコックスなど、人獣共通感染症の具体例を数えればキリがありません。そうしたウィルスは、ずっと以前から存在していて、いつどんな条件で顕在化してくるのかがわからないのです。たとえば口蹄疫O型ウィルスは欧州だけでなく、台湾、香港、ベトナム、カンボジア、ラオス、韓国、極東ロシアそして日本(O/JPN/2000)でも報告されています。疑心暗鬼になっていたら、牛肉も豚肉も食べられません。

昨年末にインドネシアで味の素事件がありました。豚の体内で培養した成分が味の素に含まれていることで、味の素のインドネシアでの製造発売中止と日本人管理職の拘束までに発展しました。イスラム教徒たちが日常食べている食品に、知らないうちに豚が使われていれば、騙されたと憤慨するのは良く判ります。それまで味の素はイスラム教徒が食べて良い食品の「ハラム」に指定されていました。どうやら、この「ハラム」を指定する管轄官庁と味の素側に軋轢があったようです。それが、以前から同成分が入っていたにも拘らず急に味の素の「異教徒ウィルス」が顕在化した理由だと囁かれています。「異教徒ウィルス」と「狂牛病ウィルス」を同じ土俵にあげて茶化すのは不謹慎ですが、ウィルスが顕在化する条件というのは重要です。インドネシアの「反日ウィルス」というのは今のところ潜在していますが、いつ顕在化するか判りません。

さてワニ肉から随分と話がずれてしまいました。ワニの養殖は、ここ最近に始まったものではありません。東南アジア各国には経営不振で放棄されたワニの養殖場が点在します。

これには日本政府が絡んでいます。地場産業促進という名目でワニ養殖場にODA援助金をバラまいた時期があったのです。マルコス政権崩壊後に、フィリピンでの日本ODAの洗い直しがありました。そのときに報告されたなかのひとつに、作りかけたまま放棄された養殖場や管理人がいないまま飢死寸前のワニたちの映像が記憶にあります。たまたま今日ワニ肉にスポットライトが当たったとしても、いままで辛酸を舐めて崩壊したワニ養殖業者は浮かばれないでしょう。ワニ・ビジネスには成功する潜在能力はあったのだが、それがいつ顕在化するのかという読み間違いがあったのです。

 ぼちぼち話題をサメに移さないと紙面が無くなります。

 医食同源を生活規範とする中国人が珍重し好んで食べるのがフカヒレです。中国歴代の皇帝が不老長寿の薬を求め、世界中の体に効きそうな食物が漢方に集約されてきた数千年の歴史があります。その中でもフカヒレは定番といっても良い料理です。フカヒレの捕獲禁止を要求するアメリカのNGOは中国数千年の歴史に喧嘩を売って勝てるのでしょうか。

           

確かに世界各地の海洋自然保護地域などで近年サメの姿が激減しているという報告があり、すでにブラジル、アメリカ、コスタリカ、オーストラリアでは領海内でのフカヒレの捕獲が禁止されています。スキューバダイビングの趣味を持つタイの映画監督チャットリー氏は、タイ近海で潜ってもサメを見かけることが少なくなったと嘆いています。捕鯨問題と似ていて、個体数調整のバランスは微妙で難しいものです。タイ航空のファーストクラスで出されていたフカヒレスープも自然保護という理由から中止になりました。そしてこうした論争が続いているうちに、酒田港のフカヒレ水揚げ高が世界一になるなど、日本はまさしく漁夫の利を得てしまいました。今度は日本が標的になりそうです。

 北海道でエゾシカの保護が叫ばれたのはついこの前の話でしたが、今ではエゾシカが増えすぎて食害を起こしています。自然をコントロールできると人類が錯覚して以来、たくさんの過ちが繰りかえされてきました。

 ワニとサメのニュースを聞いて、またぞろ同じ過ちを犯して欲しくないと願うばかりです。地球上にワニとサメが氾濫し充満するのを想像するとゾッとします。今、ヒッチコック監督の「バード」の恐怖以上に鮮烈なイメージが脳裏をかすめました。この辺で止めておきます。最後に一句。

 ワニはからん 自然マニアの フカ情け

(MK)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「タイのTV番組」                  

                          遊びThaiネッ(ト !) より 

今回は日本の番組をタイ語で放送しているドラマをご紹介します。江角マキ子さん主演で5人のOLが社内で繰り広げる騒動の数々を面白くしかし女性の強さを描いたコメディードラマ?「ショムニ」です。 タイでのタイトルは「ルワン・パラン・ハー・サオ・サー」(5人のたくまし い女性たち)と言います。森本レオさんの声の吹き替えが何ともこっけいで、もし本人が聞いたら怒るかも?日本のトレンディー・ドラマも今まで数多く翻訳放送されていますが、いずれも声優の数が少ないのか同じドラマで違う俳優の吹き替えなのに同じような声が何度も聞こえてきます。TVを見てまたまたビックリ!以前日本で「クイズ100人に聞きました」をやっていましたがタイでもまったく同じ内容でこのゲームが始まっていました。一般回答者が出場するこの番組は「シートシー」と言う番組で、4人を1グループとして競っている。以前日本の大学で勉強していた知人が「この頃日本の番組のコピーが特に多くなってきた。ドラマは日本にいる時には訳がわからなかったがタイでタイ語で見てみるとやっと意味が理解できた。」と言っていた。 日本のファッションや生活を知りたい人達が楽しんで見ているそうだ。当然日本に住んだことがある人達は懐かしく思ってみているとのこと。(ホントかな?)でもドラマよりゲームよりもっとすごいのはマンガだ!日本語が解らなくてもしんちゃんや一休さんと言う名前は知っている。


小学校の頃は、母の作る弁当の色の綺麗さから、どちらかというと自分はお金持ちの子供だと誤解していた。柏の駅前に、藁葺き屋根の洋品屋さんがたった一軒だけある時代のことだった。

 しかし、中学一年の時に父が死んで、それまで食べていた普通のソーセージが、粉っぽい魚肉ソーセージに代わって初めて貧しさを知った。多分にそのときから、いわゆるハングリー精神に目覚めたのだと思う。そして悪食といわれるくらいに(自分ではグルメだと思っているのだが)色々なものを食べてきた。

 学生時代に行った初めての外国、韓国では旅館(ヨガン)の朝食が三十品ぐらい出るのに感激した。それを綺麗に平らげたらびっくりされた。後に韓国人の友人から聞いた話では、両班(やんぱん)時代からの名残で、残すのが礼儀だそうだ。主人、男たちが食べた後、女たちが食べ、使用人が残りを食べる。今でもカンボジアなど、東南アジアにこの習慣は残っている。

 それで、次の年ヨーロッパに貧乏旅行に出かけたときには、小田誠の「何でも見てやろう」を持って「何でも食べてやろう」と決め込んだ。しかし、フランスに留学する筈が、アルバイトをしていたスエーデンに一年以上の長居してしまった。スエーデン・ガールフレンドの「据え膳」を食べなかったためもあり失恋し、望郷の念断ちがたく陸路アジア経由日本に向かう。

 アジアの入り口トルコのイスタンブールで入った食堂で薦められたスープにびっくり。なんと五衛門風呂そっくりの大釜から出てきたのは羊の頭蓋骨。スープは美味かったものの、大皿のシシカバブの肉塊にがぶりつくが、噛み切れないので口から取り出してみると、歯形のついた羊の目玉がギョロリと睨む。

 プライドを懸けて大皿を食べ切ったので、首都アンカラでもお腹が空かず、一路山越えして、トラプソンを目指して旅を続けた。夜の八時を過ぎて空腹感を覚え、食事のできるところを探すと、山間の村に一軒だけ電気のついた家があった。村の老人たちが、夕食後のひとときを水パイプで過ごすチャイハナ(茶店)だった。

 身振り手振りで食べ物はないかと聞くと、中年の主人が奥の台所へ連れて行く。壁と同じ泥のテーブルの上にある洗面器に入った白いものと卵を示す。はらぺこだから何でもいいから食べさせてくれ、と手まねで話し、出てきたものは単なる卵焼きだった。ところが、これが天にも昇るほどの美味しさだった。洗面器に入っていた白いものは羊のバターだった。

 見てくれはともかく、アジアの食い物は美味しかった。しかし、イラン、アフガン、パキスタンと続くと、美味しいシシカバブも飽き、ナン、チャパティとカレー尽くめのインドの旅を終える頃には、米の飯がやたらと恋しくなり、カルカッタの街で中華料理店に飛び込む。

 インディカ種の炒飯と、数品のおかずもカレー風で似ても似つかぬ中華料理。美味しい米の飯の夢も吹き飛んで、残ったのはカレー料理に比べて何倍もする領収書だけだった。同じアジアとはいえ、東アジアと南アジアではこんなにも味覚の違いがあるとは。

 ヨーロッパから中近東、南アジアと来てもいやされない食感の望郷の念、それが満たされたのがビルマの市場だった。長い粒のインディカ種ながらふっくらと炊けたご飯と、カレーながら薄味の魚カレーと、たっぷりの新鮮な生野菜を、ンガピという漬け汁につけて食べる。やっと待望の日本の味に近いものにありつけた思いがした。

 タイにくるとそれはもっと強くなる。日本料理に近い料理を作る潮州人華僑の多いタイ。クイティオという米の粉から作る麺、薄いカレー汁をかけて食べるそうめん、カノムチーンがどこでも気楽に食べられる。ふかしたもち米主食の、東北タイ、ラオス料理。純日本料理というわけではないが、日本のもの似た豆腐、納豆、梅干もある。

 ビルマのンガピ、タイのカピ、カンボジアのカプはいずれも日本の「あみ」の元である小海老の佃煮かそれを練ったものである。昔は日本各地にもあった「しょっつる」(魚醤油)はトゥック・トレイ(カ語)、ニヨク・マム(ベ語)、ナーム・プラー(タイ語)とよばれて、現在主な調味料として東南アジアで使われている。韓国語で酒は、「スラー」、日本古語で「ささ、ささら」、語源はカンボジア語の「スラー」である。お酢も(久米酢)を「トゥック(水)・クメッ」という。

 醗酵食品で臭いが食べると病み付きになる、カンボジアの魚の塩漬け、プラホックやマムは日本の熟れ鮨の原形だったと私は思う。カンボジアにとんでしまったが、タイはもともとクメール帝国の一部だったのだから自然なことである。

 八十三年ベトナム侵略軍に、人民戦争で抵抗するカンボジア軍(ポルポト軍)と二ヶ月半過ごしたとき、食糧の乏しい乾季でもあったため、ありとあらゆる手に入るものを食べた。ジャングルで手に入る野生の鶏、トカゲ(カ語でトッゲー)、雷魚、陸亀。

 そのなかでもとりわけ美味しかったのは、陸亀の肝臓(きも)だった。きもは琉球語で「ちむ」といい、語源はカ語「トラウム」。昔、昆崙(カンボジアのこと)から琉球に使節がきたときに通訳がいらなかったという。

 日本文化の基層にカンボジア文化があることを常々私は触れてきたが、稲作を伝えた弥生人の一種としてカンボジア人(モン・クメール=熊蘇)と同じマレー系のインドネシア人(隼人)の日本食文化に対する影響は大きい。

 米を持ち込んだのも弥生人(クメール人)で、能古呂島(ノコール・アンコールと同意)の古から、御朱印船交易で入ってきたカボチャ(国名カンプチア)、シャモ(シアム、シャム、カ語でタイのこと)、チャボ(チャンパ、カ語でチャンパ国)の時代までと綿々と続く。

 さて最後に一番の食材について。食人、首狩りは人類共通の習慣だったが、ビルマ、カンボジア、インドネシアはつい最近まで、いや現在でも行われている。悪食グルメの私も、カンボジアの戦場で勧められたことがある。

 プノンペンの防衛線、国道三号線ワット・スレインの戦場に行ったとき、ロン・ノル軍兵士が肉を焼いていた。彼は悪びれる様子もなく、クメール・ルージュ兵の肝だ、食べると勇敢だった彼の魂が乗り移りあんたも勇敢になるというのだ。

 一緒に行ったドイツ人カメラマンのディーターが、勧められた串を口の近くまで持っていっている。私も同じように口まで持っていく。口を開けて食べようとしたときに、まあいつでも食べようと思えば食べられるのだから今食べなくともいいという気持ちになった。止めて横を見るとディーターはもう食べてしまっていた。

 どうだと聞くと、やはり勧められたマリワナで血走った目で、無言のままニヤリと笑った。ディーターはいまだにインドでカメラマンの仕事をしていると聞く。

 悪食グルメの私が、アジアで最も美味しいと思う食べ物は、ポンティア・コワン(カ語)、パルット(タガログ語)で、孵化途中のアヒルのゆで卵だ。これだけは駄目という人が多いが、食べず嫌い。世界でおいしいものといえば臭くて、見てくれの悪いものが多い。「郷に入っては郷に従え。」というではないですか。その土地の人が好むものをみなさん是非試してみて下さい。人肉を除いてね。

             プノンペン(中央市場)

             by ゴラゴット

■ハノイ漆絵紀行

 

 

 ベトナム雑貨がブームを巻き起こしている。学生が休みになるこの季節、日本の若い女の子がしゃれた雑貨目当てに大挙してホーチミン(サイゴン)に押しかけているらしい。バンコク―ホーチミン間のフライトはほとんど満席。なぜいまベトナムなのか。アジアブームの中心的な役割を担ってきたタイに飽き、マレーシアやシンガポールにはそれほど魅力を感じることができず、フィリピンはちょっと危険な感じがし、どこかいいとこないかなあ、と見回してみるとそこにベトナムがあった、という感じだろうか。

 ベトナムには確かにおしゃれでセンスのいい雑貨・工芸品が多い。大量生産された土産もののレベルを超えることができないタイの雑貨とはかなり違う。雑貨だけではない。創意工夫のこらされたベトナム料理、東南アジアの中では抜群のレベルを誇る絵画、どれをとっても他のアジア諸国にはないセンスに満ち溢れている。中国とフランスの影響を色濃く受けながらも、伝統的なものを大切にしてきたからだろう。喧騒の都、ホー・チ・ミンとは異なる静かなたたずまいを見せる古都、ハノイ。そこであるベトナム人画家を訪ねた。

 2月のハノイはかなり寒い。同じ東南アジアだと思ってバンコクから着のみ着のままでふらっと来たるするとまずその寒さに驚く。改めてベトナムは南北に細長い国なのだと思い知らされる。寒いのが苦手な私はこんなことならやはりホー・チ・ミンにしておけばと一瞬悔やみもしたが、初めてのハノイを10分ぶらついただけでこの街が気に入った。静かな街並みが美しい。旧正月(テト)を控え、たくさんの人が自転車で正月飾りのスモモの木を運んでいる。

 

 そして、街のいたるところでホー・チ・ミンよりさらに多くの画廊がひしめきあっていた。 街の真ん中にあるホアンキエム湖の西側、リ・クウォック・ス通りにトゥリン・トゥアンさんのアトリエがある。トゥアンさんはベトナム漆絵作家の第一人者。欧米で高い評価を受けている。電話をかけてバンコクで知り合った画商の名前を出すと、すぐに遊びにいらっしゃいと歓迎してくれた。安宿が集まるハン・バック通りからリ・クウォック・ス通りまでは徒歩10分。トゥアンさんの家はすぐに見つかった。からだを横にしなければ進めないほど細い路地を通りぬけ、さらにせまい階段を上っていくと、知らない間にトゥアンさんのアトリエに入りこんでしまっていた。向こうの方から声をかけてくれた。名のある漆絵作家というからどんなえらそうな人かと思ったが、トゥアンさんはちょびひげをはやした人のよさようなおじさんだった。仕事場はアトリエというよりむ しろ作業場といった方がぴったりくる。せまい部屋に絵の具やら筆やらヘラやらハケやらが雑然と散らばっている。そして壁には、ひと目でトゥアンさんの作品だとわかる赤い漆絵が、ところせましと飾られていた。

 

◇ベトナムの漆絵

 漆と聞いて日本で思い浮かぶものはせいぜい高級食器類。漆絵といってもぴんとこない人がほとんどだろう。絵画というよりも工芸品のイメージが強い。ところが、ベトナムではこの漆(英語ではラッカーと呼ぶ)が油彩や水彩と並ぶ絵画表現の手段として広く普及している。フランス植民地時代に設立されたインドシナ美術学校が、ベトナムの伝統工芸であった漆絵とフランスが持ち込んだ西洋絵画の技法を融合させたのが始まりだという。ホー・チ・ミンやハノイにはバンコクと比べ物にならないセンスのいい画廊がひしめきあっていて、どこへ行っても漆絵を見ることができる。

 

 トゥアンさんはまず、簡単に漆絵の描き方を教えてくれた。木でできた専用のボードにデザインを考えながら銀箔のようなものを散らし、その上に何度も漆黒の漆を重ね塗りしながら色を出していく。思い通りの色にならないこともあれば、予想もしなかったすばらしい色が出ることもあるという。結構、手間のいる作業らしい。部屋の外では助手の女の子が一生懸命漆をこねていた。

  トゥアンさんは作品に赤を多用する。静かにたたずむ女性をモチーフにした作品が多い。なぜかわからないがどの女性も指が四本しかない。漫画みたいな人の描き方と漆の重厚な質感がアンバランスな魅力をかもし出す。作品の中の女性は画家である奥さんなのかと聞くと、「そうともいえるし、そうでないともいえる」とにやにやしながら答えてくれた。途中、画商のおじさんが入ってきて商売の話が始まった。最近は不景気のせいか、値のはる著名作家の絵はあまり売れないとぼやきが入る。  

 しかし、トゥアンさんは値引き販売だけはしまいと心に決めている。絵のクオリティーが落ちていく恐れがあるからだ。ベトナム絵画のレベルを維持するためには、金に飲み込まれたりしてはならない。そう話すトゥアンさんの表情には、国の芸術までしょっていこうという気概みたいなものが感じられた。

 

 夜。バンコクから漆絵を買い付けに来た北欧人画商とトゥアンさんと三人でベトナム料理を食べた。その後、トゥアンさんがおもしろいところに連れて行くというのでついていった。ビリヤードやダーツの置いてあるやや怪しげなパブだった。ゲイと芸術家のたまり場で、実は北欧人画商のお気に入りの店らしい。社会主義国にもちゃんとゲイがいてこんな場所があるわけだ。「トゥアンさんはそっちの気があるの?」と聞くとあっさりと否定。そっちの気がある北欧人画商がつっこみを入れてきた。「トゥアンがそうなったら絵のモチーフがみんな男になって売れなくなってしまうよ。私はメシの食い上げだ」。確かにそうだ。トゥアンさんの描く女性はなんとも不思議な魅力にみちあふれている。女嫌いの描く絵にはみえない。

 暇つぶしに三人でダーツに興じた。みんな同じようにヘタだったので意外と白熱し、トゥアンさんが僅差で勝利。大学教授でもある偉大な漆絵作家は子供のようにはしゃいだ。トゥアンさんはもうすぐバンコクでも個展を開くという。「じゃあもしバンコクに来たらまたダーツをやりましょう。こんどは女性のいるところで」。そういうとトゥアンさんはにやりと笑い、私たちはパッポンでの再会を約束した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


                         by   AKIRA

 

■日本人詐欺師の話

   

 かつては、タイ在住の日本人のイメージの一つとして、なんらかのトラブルを起こして日本には居れなくなった人がタイまで逃げてきて暮らしている、というものがあった。・・・あったような気がする。

 最近は、ごく普通の若者たち(に見える)も「タイが好き」というだけの理由でたくさん当地に住んでいるので、かつてのイメージはだいぶ薄まり、うっかり忘れかけていたけれど。

 ところが先日、ぼく自身が、日本人の詐欺師に遭遇してしまった。

 H君。タイに来て5年ほどになる、まだ30歳を少し過ぎたばかりの好青年だ。彼は、デザイン・印刷関係の会社を起こし、ちょうど1年ほどとなっていた。

 ある日、その彼からぼくに電話があった。

 彼の会社では、もともとホームページ制作なども請け負っていのだが、今後本格的にインターネット事業も始めるのだと言う。それを手伝ってくれないか、という話だった。

 彼の話す内容はかなりスケールの大きなものだったので、当然ぼくは最初、疑問を持った。広告的に利用するのであればともかく、もともとインターネットそのもので利益を出すことは、相当に難しいとぼくは考えていた。どうやって利益をあげるのか。もちろん様々なアイディアはあったけど、軌道に乗るまでには時間がかかるはずだった。それまで、資金的な体力はあるのか。

 そこで話に出てきたのが、その新しい事業のスポンサーとなるM氏の名前であった。

 

 H君の話では、M氏はニューヨークで建築事務所を構える実業家で、シドニーにも支社を持ち、最近バンコクへ進出して来たらしい。彼が数千万円単位のお金を事業の資金として出すのだと言う。

 こうなると、今度はM氏の素性に疑問が出てくる。当然のことながら、ぼくは「そのM氏という人物は信用できるのか?」とH君に訊いた。H君の返事は、「大丈夫だと思う」というものだった。

 M氏が詐欺師である可能性は、もちろん最初にまず考えたことだった。

 しかし、M氏はお金を出す立場にあった。H君自身は、自己資金をこの事業に投じる気はなかった。M氏が詐欺師だとして、たとえばお金を出す出すと言いながら結局は出さなかったとして、そうであればたしかに困るが、かといってM氏にはなんの利益があるのだろう。とりあえずは思いつかなかった。

 M氏が信用に足る人物かどうかということには、それでも依然として不安はあったけども、ぼくは数日考え、結局その仕事を手伝うことを引き受けることにした。彼が詐欺師だとしても、ぼく自身が失うものはほとんどないと判断したのである。

 それに基本的に、ぼくは単にH君から仕事を受ける立場であるだけで、ぼく自身は直接にはM氏には関係がない。M氏のことを判断するのはあくまでH君であって、ぼくがあまり口を挟むべき事柄ではないだろう。

 だけど、現実にM氏は、結局お金を出さなかったのだ。

 ぼくとH君は、その新しく始めるインターネット事業について、何度も打ち合わせを重ねていた。事業の規模から考えて、ぼくにとってもH君にとってもそれがメインの仕事となるはずであった。

 1ヶ月ほどたったある日、ぼくのところにH君が沈んだ声で電話をかけてきた。「M氏が捕まったよ」。

 

 結論から言うと、M氏は日本で何度か詐欺の前歴がある人物だったのである。

 日本の警察から指名手配を受けていたM氏は、バンコクのイミグレーションで拘束された。タイで事業を始めようとしていたのは、ある程度には本気だったようではあるが、その資金はM氏本人からは出ていなかった。M氏と付き合いのある女性たちから出ていたのである。つまりM氏は、結婚詐欺師のようなものだったらしい。女性たちは主に日本在住であったが、タイでもある日本人女性がM氏に数百万円を渡していた。

 M氏が女性たちから引き出したお金は、実際に会社設立などにも使われてはいたが、それ以外のどこかへ消えた金額も多かった。

 ぼくとH君は、直接的な被害はなかったけれども、1ヶ月ほどの時間を無駄にしたことになる。特にH君は、他の仕事を止めるなど、間接的にではあるが、それなりの被害を受けてしまった。

 ぼく自身は、1度だけH君とともに直接M氏に会った。シーロムエリアの日本料理店でである。他に、3人ほどの若い日本人も同席した。彼らは仕事とは関係なくM氏と付き合いがあり、ぼくらと同様にM氏に詐欺の前歴があることは知らなかった。

 その席でのM氏は、たしかにどこか人間的魅力のある人物のようには感じられた。M氏は40代の半ばごろの年齢ではあったけれども、女性にもてたとしても不思議ではないキャラクターだった。もっとも、夢を語るようなこと、スケールの大きなことをしばしば口に出すところが、少々ひねくれているぼく自身には趣味が合わなかったし、また今となってはそれこそ詐欺師くさいようにも思える。

ただ、タイにおいては独立志向の強い人が少なくなく、ぼくは実業家という人種はそういうものなのかな、と、思ってしまったところがある。

 また、その席でのM氏自身の語るところによると、彼は孤児だったそうであ

る。これも今となっては本当なのかどうかかなり怪しい話ではあるが、実際にタイの孤児院にも、何度かプレゼントを持って訪れたりもしていた。「信用できるいい人」を演出していたのだろうか。

 ちょっと面白いのは、同席の若い日本人らもM氏とともに孤児院へ同行したことがあったとのことだが、子供たちは彼らにはなついてもM氏にはなつかなかったそうだ。

 これらは、いかにも詐欺師らしい話にも思えるけれども、M氏がタイである程度は本当に事業を始めようとしていたのも事実らしい。

 彼は、H君のスポンサーになるのとは別に、すでに実際にバンコクに会社を起こしていた。その会社はペーパーカンパニーではなく、現実にオフィスを構え、日本人とタイ人を雇って動き始めていた。H君とM氏が知り合ったのも、M氏のその会社がH君の会社へ名刺作成などの仕事を依頼してきたのが始まりであった。

 M氏が拘束されたことで、すでにM氏のオフィスで働いていたスタッフたちは唐突に仕事を失うこととなった。

 タイにいる日本人は、実際のところ、日本で会う人にくらべるとやはりクセの強い人は多いと思う。少々の変人ではタイでは目立たない。逆に、ごくごく普通の、まっとうな人のほうが珍しいかもしれない。とは言い過ぎだけど。

 だからというわけではないけれど、在タイの日本人はたとえ同胞であっても一般に警戒心は強いと思う。簡単には人を、あるいはその人の言うことを信じない傾向があるだろう。それでも詐欺師の活躍する余地は十分にある。

 

 それは、駐在員を除き、多くの在タイ日本人は組織に属し、組織に守られている存在ではないからだ。日本で貯めた金を持って、タイで一旗挙げようとやって来る人物などももちろんそうだが、現地採用として日系他の在タイ企業で働く人にも、いつかは独立を考えている人は多い。独立して事業を起こしていくには、もちろんのことリスクが付いてくるのだが、そこに詐欺師が紛れ込む場所が生じるのである(ただし、今回は基本的にはそうした事業詐欺ではなく、結婚詐欺ではあったけれど)。

 

 しかし、それでも半分負け惜しみで言おう。そういう様々な人がいて、様々なリスクもあるからこそ、だからこそやっぱりタイは面白いとも思うのだ。

 

事務所移転しました。

日本人駐在員が多くすむ、お洒落な街

スクンビットSoi35です。

BTS(高架電車)プロポン駅から約400m

今迄の事務所があったアソークの隣の駅です。ぜひ機会がありましたらお立寄り下さい。