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Vol.20 2000.5.15発行 |
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ソンクランも終わり「さぁ、仕事をするぞ!」と意気込んでみても周りは、まだ夏休みモード。学校の夏休みは3月末から5月後半迄続きます。今年は例年になく雨の到来が早く雨期入りが近いようです。日本だけで無くこちらタイでも少年院からの集団脱走事件がタイ各地で続発してオフィス近くのスクンビット通りが道路封鎖されるなど、青少年の犯罪が多く驚かされます。 そんな中に、期末決算が発表され民放各局が増益のニュースが伝わってきました。うれしいことです制作費に少しでも反映されることなって欲しいものですね。暑いタイの中でも一番燃えてるスタッフが集めてきたタイののニュースを今月もお届けします。ぜひ皆様の番組に役に立ちますよう、そして御一緒に仕事ができますようお待ちしています。
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■タイダンスとの出会い 大阪出身のりかさん(32)は、バンコクに「暮らし」はじめて4ヶ月目。タイダンスの勉強をしている女性です。 習い事としてタイダンスを選んだのは、小さいころ家にあった東南アジア舞踊の人形衣装のきらびやかさに惹かれ、またそのきらびやかな衣装を自分で着てみたかったというのが主な理由です。その人形がタイダンスのものであったのかは定かではなく、バリ舞踏でもインド舞踏でも良かったというりかさんですが、習い事・学校紹介の雑誌のアジア特集を見ていて、たまたま選んだのがタイダンスであったとのことです。
■タイへ りかさんは、まずタイが好きになり、そしてタイダンスに興味を持ったわけではありません。ほとんどたまたまタイダンスを始め、それが縁で4年前に、それまで興味のなかったタイへ当時のタイダンス教室の仲間と初めて訪れることになります。
■タイダンスの追求 「アヌラック・タイ」でタイダンスのステージに立っていたりかさんですが、やはり「日本人がタイダンスを?」と、タイ人から不審な目で見られ、なめられることも少なくありませんでした。2度のタイ訪問で、1人でもタイに来る自信をつけたりかさんは、現地タイでより本格的にタイダンスを学ぶことを思い立ちます。
■タイに暮らす それでも、その2ヶ月間の在タイ生活は、タイに暮らすという感覚ではなかったそうです。しかし今回、りかさんは「タイに住んでみよう」と考えて来タイしました。 「タイダンスは一生続けるつもり。もし踊れなくなっても、タイダンスとなんらかの関わりは持ち続けていたい」とりかさんは言います。「暇つぶし」でタイダンスを始めたりかさんですが、いつのまにかタイダンスは、りかさんにとってかけがえのない大切なものとなっていました。 (Akira) |
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・タイダンスについて
■タイダンスの種類 タイダンスは、メジャーなものは大きく3つにわけることができます。 まず、古典舞踊である「ラコーン」。もともと王宮で演じられていたもので、もっとも格式の高いタイダンスです。 「スーン」と呼ばれるイサーン(タイ東北地方)の庶民的な踊りは、お祭りの際に踊られていたもの。比較的テンポの速い音楽にのせて踊ります。 そして、スコータイやロッブリーなどの古い各王朝、各地方のダンスを再現した「ポーランカディ」という踊りがあります。 上にインタビューしたりかさんが学んでいるのは、以上3つのタイダンスですが、他にも北タイの「フォーン」と呼ばれるゆったりとしたダンスなど、各地方独特の踊りもあるそうです。 ■タイ古典舞踊ラコーン なかでも最もメジャーで観光客でも目にすることが多いのが、タイ古典舞踊「ラコーン」でしょう。基本的にはインドの古典叙事詩「ラーマーヤナ」のタイ版である「ラーマキエン」に題材をとったものですが、他に国王に捧げる踊りなどもあります。 ラコーンは、細分化すると1つの曲(ダンス)が5分から20分程度のものとなり、それが組み合わさってラーマキエンの物語を演じることになります。曲目は、全部で300曲はあるだろうと言われています。 ■タイダンスのシステム タイダンスには、クラシックの交響楽団のように、いくつかの団体が存在します。 中でも最も有名でレベルが高いとされているのが国立劇場(に所属するメンバー)です。他に、チュラロンコーン大学のグループ(構成員がチュラロンコーン大学生というわけではありません)などがあります。 タイダンスは、タイ人であれば義務教育の小学校で誰もが学ぶものですが、さらに深くタイダンスを志す者は、「ウィッタヤライ・ナタシン」と呼ばれる各県にある国立の演劇学校に学びます。中学・高校の中等教育に相当し、タイダンスの他一般教育も行われる学校です。 ウィッタヤライ・ナタシンに学びながら、さらに、先にりかさんも通ったチュラロンコーン大学のタイダンス・コースを学んだり、個人的にプロの先生に師事したりして技術を深めていきます。最終的には、国立劇場などのタイダンス団体に就職することになります。 レストランなどで踊っているダンサー(やダンスグループ)は、一般に技術のレベルがそれほど高くない、あるいは容姿が美しくない者だそうです。 (Akira) |
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■ 何でもします、仕事させて下さい 1993年、ちょうど日系企業のタイ進出ラッシュが一段落した頃、バンコク・ドンムアン空港に一人の青年が降り立った。ドングリ目である。さて、どうしたものかと当たりを見回す。彼の名は新田英治。先月迄日本のある中華料理店からの依頼で食材を仕入れるため香港と日本を行き来していたのだが、ある時、とんでもないものの仕入れを依頼されたのを機にその仕事から足を洗い、バンコクにいる友人を頼ってフラリとやって来たのだ。 根っからの働き者なのか、なにもしないでバンコクでグズグズしているのが性に合わない。彼は友人のすすめで情報誌に求職広告を出した。『何でもします。給料はいくらでもかまいません。仕事させて下さい。』当時タニヤ通り、スリウォン側入り口角に小さな居酒屋「酒の店」があった。新田さんの出した広告が、そこで働いていた北原さんの目に止まった。さっそく会うことになる。新田さんは何でもしますと言い切っていただけに話はトントン拍子にすすんだ。 まず、酒の店の事務所もかねていたスクンビット・ソイ26にある印刷工場の清掃係を命じられ、一日中掃除、整理整頓に明け暮れた。遠くから一時間かけて通って約一ヶ月。一万バーツの給料。さすがのドングリ目も曇ってきた。「何でもすると言ったものの、タイくんだりまで来てなんでこんなことせにゃあかんねん」辞めようと思った。と、同時に意地になって整理整頓しつくした。するとそれを見た社長が「なかなかやるな。それならワシと一緒にウロチョロせんか」と今度は秘書のような仕事与えられる。社長についてあっちこっちを回ったり、関連レストランの売上げの管理など事務もやらされた。その一ヶ月後酒の店を拡張する計画が沸き上がり「おまえ『酒の店』の店番せい」と命じられる。
■ 目から血が流れる 『酒の店』の食材は゛日本のものを使う゛という明確な商品コンセプトと、関連の日本食レストランへの食材供給もあり、新田さんは何度か社長と共に日本は築地市場へ飛んでいた。買い出しは一回100キロ。面白かったという。もともと飛行機に乗るのが好きだったこと、そして日本を代表する市場でおいしいものをいっぱい食べられるからだ。最初の3ヶ月間、社長から魚の見分け方、いかに安く、良いものを買うか。無駄なく仕入れるかを現場で徹底的に叩き込まれた。それからは「一人で行け」と、この仕入業務を一切まかされることになる。仕入の仕事に慣れるにつれ店の売上げもだんだんのびてきた。そうすると仕入が追いつかない。月2回のペースが10日に一回、程なく週一回、そしてついに日本に3日、タイに3日、週2回往復という凄まじいスケジュールとなる。一度タイ王室のかたが“伊勢海老をご所望”という話が持ち込まれた時、タイの王室のためならと日本からついたその足でそのまま日本へ仕入に戻ったこともある。翌朝6時に成田着。築地に8時着。伊勢海老を仕入れて、タクシーをぶっ飛ばし成田空港まで引き返す。風のようにチェックインを済ませ。なんとか10時50分のフライトに滑り込んだこともあった。 その後、これまでの無理がたたっのか、体に変調をきたしはじめる。涙が出たり、鼻が痛くなる。長い間の急激な気圧差に体が耐えられなくなり、軽い潜水病のような症状が現れはじめたのだ。無理をすると命取りになる。しかし無理を承知でまた飛ぶ。運んでくる。ついに飛行機が飛び立つと同時鼻血が出、目からも血が流れ出た。とうとう3日間、入院、退院後、また運ぶために飛ぶ。「明石のタイみたいに目が飛び出るかも知れないと思いました。運び屋を始めて3年目。自分の店を持ちたいという願いや日本の味を求めて立ち寄ってくれるお客さん、そのお客さんに美味しいものを食べてもらいたいという一心。やらねばという気持ちが強く、この生活パターンで体が麻痺していたんだと思います」と語る。
■ 一回 二00キロ 新田さんは知人からしょっちゅう日本へ帰れて羨ましいと言われる。しかし彼の日本での仕事ぶりは1分1秒を争うといっても過言ではない。日本からタイに戻る日の朝5時、市場へ出向き、前の日に注文していた品物の確認、梱包を7時頃までに終える。その荷をタクシーに積み込むためタクシーを捕まえるのが7時半。7時半までに捕まえなければ、その日のフライトに間に合わないのだ。ところがこのタクシーを捕まえるのが一苦労である。トランクはもちろん助手席にまでめいっぱいに積み込めさせてもらうため、5台中4台は「魚臭いから」と断る。成田行きのシャトルバスに乗るためには8時半までに箱崎チェックインを済ませなければならない。雨の日はカッパを着ていても両手に荷物をもって市場を駆けずり回るので全身ズブ濡れだ。タクシーに断られ続けていると情けなくて涙が出てくる。しかし両手がふさがっているため涙もふけない。真冬は凍りそうな耳を手で温めることもできない。魚を掴むため手袋は出来ない。一時、手は第一次凍傷と診断されたこともある。雪で滑って止めようとしたタクシーにひかれそうなり、起き上がると市場の泥がまるで魚のウロコのようにズボンにベッタリへばりついている。とにかく時間との勝負なので身繕いなどは気にはしていられないのだ。頭の中にあるのは箱崎のターミナルに向かうことしかない。フライトに遅れたら仕入れた生鮮品が、ほとんど台なしになってしまう。築地から箱崎まで1320円の距離を「とっておいて!」と運転手さんへ5000円握らせ乗り込み、箱崎につくのが8時前。ABCの職員らに「兄ちゃん、ジュースあげるから手伝って」と叫んで荷下ろしを手伝ってもらう。ここから残り時間の30分で荷物の仕分けや超過重両分の料金交渉を行う。荷物の超過料金を払って200キロを積み込む。タイの土産を毎回付け届けしているカウンターのお姉さんも目にあまるオーバー分は認めてくれない。入り切らないものは背中に背負うのはもちろんのこと、両手両肩、首に吊るしたバックに詰め込み、手荷物として機内に持ち込む。1分も無駄に出来ない。 この作業をファーストクラスやビジネスクラスでカウンターに並んでいる乗客の目の前で行うのである。当然嫌がられる。そでにマグロの血のりがついてることもある。市場臭い、魚臭い、今でもツライが昔はもっとつらかったと言う。昔は荷物の持ち込める量の多かったファーストクラスがあったのでそれを利用していた。やはり知人から毎回ファーストクラスに乗って良いなと言われていたが「いいことなんて一つもない、偉い人の前でさらしものですよ」と笑う。「ダイエーの中内さんの隣に座ったこともあるけどソッポ向かれていた。国連の明石代表も眠ったふりしていた。スチュワーデスさんも年期の入っている人ばかり。食事や映画も3ヶ月は同じなのでさすがに飽きます」その証拠に手伝うよといって同行してくれた人も、初回は楽しそうなのだが、2回目を依頼すると音信不通になるそうだ。
■ 一生の仕事にしたい 運び屋の仕事を始めて7年目。今は10日に一度なのでそれほど辛くない。築地市場から箱崎までの息をつかせぬ移動もタクシー会社と契約になった。 「市場の雰囲気が好きだから、キツイ仕事だけど、なんか店をやりながら一生この仕事続けたいな、と思うこともあります。飛行機乗るのも好きだし」と言う。前述のような尋常な人間にはとうてい続けられない凄まじい仕事ぶりだが、新田さんは7年間一回もフライトに遅れたことはない。先日はうっかり寝過ごして、悔し涙を流しつつ寝巻きを着たまま表へ飛び出し、タクシーの中で着替えながら市場へ向かったそうだが、持ち前のバイタリティーと大阪人特有の機転でことなきを得た。 現在、新田さんは奥さんと目の中に入れても痛くないと言う6歳の男の子との3人家族。先日、数カ月で10万マイル飛んだという世界記録に航空会社から表彰された。いう迄もないが新田さんのマイレージは家族全員が月にいって帰えってこられるほどの距離が貯まっている。 (メコン情報誌:DACO)
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3月からタイで続いていた“夏休み”が5月中旬に終わりました。雨が降らず、なおかつ、直射日光が照り付ける季節でした。これからは暑さは変わらないのですが、雨が降り始めて湿度の高い雨季に突入します。 今、タイの子供たちは夏休みの宿題の帳尻あわせに大わらわです。かつて日本で夏休みの宿題といえば昆虫採集などに相場が決まっていたのですが、さすがに昆虫も簡単に獲れなくなっています。タイではまだまだ、貴重な蝶々やクワガタなどが簡単に採集できます。でも最近は自然保護ブームも在って、タイの熱帯林に捕虫網を持って入れる許可は、研究者たちだけになっています。 バンコクの空港で毎月数件、ワシントン条約で保護されているタイの動植物を持ち出そうとして逮捕される日本人の事件が後を絶ちません。クワガタやカブトムシなど日本のデパートで何万円もの値札が付けられているのを見ると、ついつい一儲けしたくなって、タイから持ち出そうとしてしまうのでしょう。われわれの場合は、動植物を捕虫網で獲るのではなくてカメラで撮るわけですから、比較的簡単に貴重な動植物をモノにすることはできます。今月はそうした動植物の撮影スポットを御紹介します。
「日本のデパートで○万円で売られるオオクワガタの産地」 ラオスに有名なジャール平原(酒作りに使われていたのではないかという巨石が転々と並ぶ遺跡)というのがあります。首都ビエンチャンから国内線に乗って約一時間でジャール平原に隣接している町シエンクアンに到着します。インドシナ紛争の時代にはベトナム共産党軍の物資補給路として有名なホーチミン・ルートの一角に当たるところだったために、アメリカの空爆の犠牲者が多く出たところです。インドシナ戦争終結から25年経った今も不発弾が処理されずに、爆発物の知識のない子供たちが犠牲になっています。そんなシエンクアンの町に最近、日本人の姿が目立つようになりました。お目当ては、オオクワガタです。シエンクアンの中心地ポンサヴァンからジャール平原に向かう途中にオオクワガタが大量に発生する小さな谷があるのです。シエンクアン周辺の山はアメリカの空爆で、ほとんど丸裸状態です。昆虫類が好む蜜のある植物も限られています。しかし、その小さな谷だけにクワガタが好む水と樹があるようです。 シエンクアンでは、この他に松茸が採れるところなどもあります。かくして、日本人業者がシエンクアンに集まるようになっています。
「バンコクから僅か2時間に動植物の楽園がある」 熱帯林の研究者たちに話を聞く機会がありました。ボルネオ、ニューギニアなどの島には原生林が残っていて、野生動物を撮影する為には、そうしたところに行かないと駄目だと思っていました。意外や研究者たちはバンコクから僅か2時間のカオヤイ国立公園の方が野生動物を観察するには良いと言います。 野生のアジア象、熱帯林の中を原色の鮮やかな姿で飛ぶサイチョウ、いろいろな種類の野生サル、マレー熊、山猫、出会いたくないコブラなどの爬虫類、…。カオヤイ国立公園には、世界中からそれぞれの動植物の専門家が常駐していて調査をしています。
「ジュゴンが戻ってきた!」 かつてプーケット島の近くには人魚・ジュゴンが出産のために生息する湾が幾つか在りました。しかし現在、ジュゴンの必要とする食べ物を供給するマングローブ林が消失し続けた結果、ジュゴンの姿を見かけることはほとんどありません。クラビ近くの小学校の先生は、ジュゴンが生息できる環境を復活させようとマングローブの植樹を呼びかけています。子供たちを動員して、自然の大切さを説きながら、マングローブ林の復活を目指しています。ごく稀にジュゴンが戻ってきたという報告もされてきましたから、長期にスタンバイできる取材班には、感動的なストーリーが作れるかもしれません。
「メコン河イルカを護れ!」 絶滅したとされていたメコン河イルカ(淡水イルカ。種類的にはイラワジ河イルカなどと同じだが、メコン河からは姿を消していた)の生息が再確認されてから数年が経ちます。タイ・ラオス・カンボジア国境のパクセー近くとカンボジアのクラチエでコロニーが継続調査されています。しかしカンボジアの漁師など、地雷などの爆発物を使った漁法で魚を獲っていますから、河イルカが犠牲になる危険性があると言います。河イルカの保護を訴えているNGOは、生息場所とコロニーなどのデータを持っていますので、河イルカの撮影の案内をしてくれます。ただし混濁のメコン河ですから、水中撮影をしてもほとんど何も映りません。
「百万羽のコウモリの群れ」 タイには石灰岩地形の場所が多くあります。日本の秋吉台のように鍾乳洞も多く存在します。洞窟は古来から人間の興味を引いてきたのでしょう、タイの鍾乳洞にも多くの洞窟寺院があります。さて、洞窟に生息する動物と言えばコウモリです。ロッブリーにある洞窟には百万羽を超えるコウモリが一個所に生息していて、夕方など洞窟から出入りするときなどは圧巻です。
「熱帯夜のイルージョン:ホタルの樹」(マレーシアなどで観察されているホタルの樹。 一本の樹にホタルが集まり、まるで飾られたクリスマス・ツリーの様になります)、「カンボジア国境の野生トラ」(最近、野生トラの調査が始まった)、「ウミガメの産卵」、「月夜のワタリガニ」、「野生象の被害に悩む農村」、などもっといろいろ紹介したいのですが、紙面が足りなくなりました。 今回の「スパイシーたいらんど」は全然スパイシーではありませんね。 “夏休み”の宿題を新学期の始まる前日に一日で仕上げてしまう子供のように、GPAニュースレターの締め切りに間に合わせただけの話題になってしまいました。これじゃあ私もタイ人同様に“夏休み”をとって遊んでいたのがバレバレですね。 (MK)
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オッ君のバンコクリポート 第3弾 先日のソンクラン休みに、水掛祭りの撮影で、ダムヌンサドゥアクというところにいってきました。そこは運河の交通網が発達していて、今でも船を使っての移動が主です。 ちょうどその時も小船で取材対象に向かう途中でした。どこからか、太鼓やシンバルをたたく音が聞こえてきて、進むうちに、その様子も見えてきました。太鼓やシンバルにあわせて村の人々が踊っていたのです。両手にヤシの実を持った十数人の人達に対面する格好で50cmほどの長さの棒を持った男が4人、棒をぐるぐる振り回しながら踊っていました。何かの合図で、ヤシの実は棒を持った人に投げられ始めました。棒を持った人は投げられたヤシの実を次々と割っていきます。手に持ったヤシの実がなくなると、割られたヤシの実を片付ける。そしてまた同じ事をくりかえす。といった具合です。その広場には大きな神棚があり、そのある種、儀式の様な事をしている人達の服も普段着ではなく、お祭りのための衣装のようでした。”ソンクランはお寺にお参りに行った後、水を掛け合って祝うもの”と聞いていた僕は、場所によってはこういう事もするのだな。と思っていたら、実はそれは最近でてきた新興宗教で、本来のタイ仏教ではないということでした。そういえば、豪華な衣装を着た40半ばの女性がどっかと腰をおろし、たばこを2本ずつ吸いながらその様子をみていました。その人が教祖、あるいは神様として崇められている存在なのでしょう。 その数日後、現役修行僧をお寺に訪問する機会がありました。その僧は21才で、大学を卒業したばかり、期間は一ヶ月だけの一時僧ということだったので、もしかすると昔からの習わしで、しかたなくとまではいかなくとも、そう信じてもいないのではないか。と思っていました。しかし会ってみると、一月前まで、おしゃべりな大学生だったとは思えないほど物静かな人でした。 毎日の僧の生活、読経や瞑想、托鉢などの修行をしていくにつれ、自然とそうなったという事です。これは出家したばかりの頃の話ですが、寝るときに、あまりよく考えないで仏像がある方に足を向けていたら、悪い夢ばかり見たそうなんです。でも、それに気づき足の向きを変えてからは見なくなったということで、そういう不思議な事があってからは、より信仰心が深まったそうです。 話は日本に変わり、5月9日に法の華三法行の福永前代表らが逮捕されたというニュースについてです。これはみなさんの方がよくご存知でしょうが、”足裏診断”で、相談しにきた人の生年月日や悩み事を言い当てる、いわゆる「天声」の正体は、教団施設内、たとえば相談室などにに隠しカメラやマイクを仕掛けて、それをモニターするというカラクリだったという話です。 ソンクランに見た、タイの新興宗教。現役修行僧の話。日本からの、法の華三法行前代表の逮捕のニュース。これらの話を見聞きして、単純に、人間とは弱いものだと思いました。国、立場や置かれている環境はそれぞれ違いますが、宗教のようにすがるものの存在を必要としている。と感じたのでした。少し前にマインドコントロールという言葉がよく聞かれましたが、とりあえず、連日のように猛暑が続くこのタイ、バンコクにいる僕は、「暑くない、暑くない。」と心の中でつぶやいて、どうにか自分自身をマインドコントロールできないものかと思案している、今日このごろです。 バンコク 奥本でした。 追伸 今月はマンガおたくのオンさんについて書く予定でしたが、都合により変更させていただきました。どうぞ、ご了承ください。
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タイ若者に日本食ブーム 経済紙「サイヤム・トゥラキット」の調査では、日本食市場は市場規模を5億バーツから一気に25億バーツまで拡大。日本食ブームの場は学生にとって絶好の溜まり場となっているデパート内にある日本料理店。デパートは日本をはじめとする世界中の最新ファッションやトレンドの発信源でもあることから、デパート好きの若者にとっての日本料理はファッションの延長線として受け入れられている。現在日本料理チェーン各社は、ブームの波に乗ろうとデパート内への出店ラッシュをかけているが、タイ人の間で日本食が健康食品としての認知度も高めていることから日本食ブームは今しばらく冷める気配はない。(バンコク週報) エクスタシー・スティッカー 「エクスタシー・スティッカー」は酩酊するために首筋や手のひらに貼るスティッカーです。簡単に使えるので警察でも見つけるのが難しい。今チェンマイで夜遊びの金持ちに大人気。エクスタシーは外国の観光客により持ち込まれた。1枚は700〜600バーツ。(シーウィットンスー誌) テレビでタバコとお酒を放送禁止 厚生省の調査によると、タバコを吸う人の最低年齢は4歳、11歳では10.2万人を数える。そこで、情報局は各テレビ局に番組の中で同性愛者と同じように麻薬常用者や酔っぱらいの放送禁止を要望している。(タイラット紙) 盲人でも大学の入試に合格! 盲人でも普通の人と同じに大学に入ることができる。ただし厳しい全国の大学の入学試験に合格することが必要です。しかし、今年2人の盲人が合格しました。(カウソッド紙) 奇形の牛 ラチャブリー県に生まれた不自然な頭の形を持っている子牛。目が3つ、鼻が2つ、舌が黒いという。(タイラット紙)
消防ボール 「消防ボール」タイ人に発明された親類の消防器具。この消防ボールは、普通の消火ボンベと違い、燃料、酸素、炎という3つの火を起こす連鎖反応を切る。遠距離で焚火にボールを投げ入れてから3秒以内にボールが大きい音をだし(危険ではない)、ぴったりと火が消える。このボールは軍事でも使われているという。一個は600バーツ(約1700円)で販売されている。(シーウィットンスー誌) 日本のアニメがタイの子供に人気 4月28日〜5月7日に第1回の“Japanese Animation Festival”がタイで行われた。日本のアニメはタイの子供達に昔から人気があるので、このイベントは子供だけではなく大人になった人も参加してる。 タイの子供に人気が高いアニメはノ 〔1〕ドラエモン58% 〔2〕ドラゴンボール38% 〔3〕しんちゃん30% 〔4〕一休さん26% 〔5〕セラームーン21% 複数回答 (シーウィットンスー誌)
マンゴスチンのワイン 農学局は3年間の研究と開発で「マンゴスチンのワイン」を作ることが成功した。ぶどう、苺、パイナップル、ライチ及びタイのいろいろな種類の果物でワインを作ることが研究した結果、それぞれの味の特徴が出てきた。その中でとても魅力があって味がいいものはマンゴスチンからのワインだったとタイと外国のワインの飲ん兵衛が話したという。(デリニュース紙) 高まるタイ人のカジノ熱 現在タイ人の間でも最も人気を集めているカジノは、マカオとマレーシアのゲンティンハイランドだが、タイ人のカジノ需要を反映するかのように、ミャンマーやカンボジアなどのタイ国境付近にはカジノ・リゾートが続々登場。メジャー・カジノに比べ経済的であるところが中流層のタイ人の間で受けているため、これからも利用客はさらに拡大すると見込まれている。(バンコク週報) タイ女医がハイテク義眼開発 4月11〜12日、厚生省の学術発表でチャラウ・トンプランシー女医のハイテク義眼が紹介された。このハイテク義眼は、見えるようになるのではなく、目の不自由な人の為に外見上よく見せるためのものであるが、今まで義眼が動かないため不自然さが目についたけれど、今回紹介されたMovable Ocular Prosthesis は、本物のように動くというもの。(the Voice Mail)
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