Vol.18  2000.3.15発行


 3月上旬タイで初めて国民による直接の上議院選挙がありました。バンコク事務所のスタッフが仕事があるのに「休みたい、投票のため田舎へ帰りたい」といってきました。もう4年も勤めているスタッフです。「なぜ田舎へ帰るの?」と聞いたところ本籍のあるところでないと投票はできないとのこと。

 そのためかバンコクにいる地方出身者が大勢帰省して長距離バスはじめ各所の仕事が....... 大混乱です ?

 しかし、今回投票しないと次回に投票する権利が制限されるとか、帰省の費用もかかるし大変です。《 大丈夫!私に投票すればお金あげます 》という声も聞こえてくるようですけど。

  タイでは土地と家を持っていないと新たに本籍を持つことができません。

ある家族がチエンマイに本籍があり、その子供が成人になり結婚します、そして バンコクで生活をしていても、土地と家を持たないかぎりは本籍はバンコクに持つことができません。チェンマイのままです、IDカードの更新やパスポートの申請の度に帰らなければなりません。日本のように戸籍は自由な所へというシステムが無いようです。

 土地と家を持っていない人はさらに選挙の度に帰ることになってしまいました。

(BKK. Koji)


 日本語研修に励むタイスタッフ

チョーク君&サーイさん、先生は中ちゃん!

ちょっと心もとないですが、きっと数ヶ月後

には成果が 現れると期待してます。

 

特集‥‥国籍のとりかた

  不法滞在者

 タイ北部をバスで旅していると、とても検問の多いのに気がつきます。

 タイ北部は、かつての麻薬王クンサーの本拠地に近く、これらの検問はもちろん麻薬の摘発が大きな理由なのですが、もう1つ、取り締まっている対象があります。

 それは不法入国・滞在者です。

 タイ国籍を持つ者は、10代の後半になるとIDカードを取得し、それを常に携帯しておかなければならない義務があります。しかし、タイ北部には、山岳少数民族や隣のミャンマーから越境してきた人など、タイ国籍およびIDカードを所持していない人が多くいます。 山岳少数民族はともかくとして、ミャンマーや中国雲南省から、ミャンマーを経てやって来る出稼ぎなどの目的でタイへ入国してきた不法入国・滞在者が、こうした検問の対象になっています。

 こうした出稼ぎで入国してくる人たちの最終目的地は、やはりバンコクとなります。 バンコクには、北タイ経由以外にも、カンボジアやラオス、またはタイ西部からやって来るミャンマー人(ミャンマーから北タイ経由でやってくる人たちは、民族的にはミャンマー人ではなく、シャン族などタイ系の各民族の場合がほとんど)らも集まってきます。

 バンコク、ペッブリーのソイ5には、少々変わった食堂があります。 そこの客がよく注文している食べ物は、一見クイッティオ(タイ風のうどん)の一種のように見えます。しかし、それはカオフンと呼ばれる、お米をいったんドロドロに糊状にとかした後にもう一度固め、それをぶつ切りにしたり麺状にしたりし、スープに入れて食べる、雲南のタイ系民族の主食なのだそうです。

 ちなみに、味はかなり美味しくないものでした。

 店内には、漢字の張り紙やポスターなども多くあり、店内で聞こえてくる客たちの言葉は、一瞬タイ語のように聞こえるけれどもそれとは違う、少数民族の言葉です。

 こうして、バンコクほかタイ国内へ出稼ぎに来た人たちは、故郷とタイを行ったり来たりして過ごすようになりますが、そのうちに生活の基盤はタイに出来上がり、故郷に帰るのは里帰りのときだけ、と、なる人も少なくありません。

 そんな彼らが欲しがるのが、タイのIDカードです。

 IDカードがなければ、警察の取り締まりで引っかかってしまうのはもちろん、携帯電話やクルマ、住居を買うことも不可能です。ちょっとした場所への立ち入りにも、面倒の生じる可能性もあります。

*IDカード取得の方法

 バンコクのカオサンには、ある意味での名物として、偽物の学生証やプレスカードなどが売られています。

 タイのIDカードを求める者は、斡旋業者を通じてお金を払い、相手のタイ人(実際的には相手のタイ人の子供)となりすまし、IDカードを取得します。このため、この方法でIDカードを得た者は、書類上では本人ではない別人の家族の一員となり、別の名前を使用することになります。もちろん、見た目が20歳程度までと若く見える人でなければ、この方法は不可能です。

 斡旋業者に払う金額の相場は、10万〜20万バーツ程と聞きます。

■正規に取れるIDカード

 以上の不法な取得手段とは別に、タイ政府は、北部タイで、タイ国籍を持たぬままタイに暮らしている人を対象にして、年間何人かの枠でタイ国籍を与えています。

 この条件は、タイに持ち家があることとなります。

 タイで、アパートではなく家を購入するにはタイの戸籍のような抄本が必要なため、矛盾しているようにも思えますが、地方ではまだまだ所有者の明確でない土地があり、家を勝手に建てて暮らしている人も多いのかも知れません。

 タイ国籍取得希望者が、なんらかの手段で持ち家があることを証明し、運良く選考で選ばれても、即時に国籍とIDカードを得られるわけではありません。

 まずは、仮IDカードのようなものとして、パスポートのような冊子が与えられます。 この仮IDカードの所持者は、北部タイ(チェンライ県など)においては移動や居住の自由がありますが、バンコクなど他の地域への居住の自由はありません(移動については自由なのかどうか、ちょっと不確かです)。

数年間これで問題を起こさなければ、晴れて正規の国籍・IDカードが取得できます。

■タイ人以外のタイ人

 タイ人自体、かつて中国の雲南から漢民族やモンゴルの圧迫を受け、徐々に南下して現在の地にたどり着き、タイ国を建国したわけですが、意外と近年においても、外国からタイへやって来て住み着いてしまう人たちは少なくありません。

 タイ北部には、日中戦争や国共内戦の時期に戦火を逃れ、タイへ移動してきた中国人(漢人)の村があります。その村では、タイ語は通じず、村人も中国文化を維持しているそうです。

 ベトナム戦争時にも、多くのベトナム人がカンボジアなどを経由して、タイのイサーン(東北地方)の地へ住み着きました。

 彼らは漢人に似て、一般的に怠惰な傾向のあるタイ人に比べて勤勉だという理由あるのでしょう、その地で短い期間に経済的な成功をおさめている場合も少なくありません。地方の名士的な存在とまでなる者もいるようです。

 バンコクにも中華街があります。

 ヤワラーと呼ばれる中華街に住む中国人たちでも、お年寄りこそタイ語を話すことが出来なかったりしますが、2世3世となると逆に中国語を話すことが出来ず、ほとんどタイ化しています。世界中に散らばる中国人ネットワークの中では、タイの中国人は現地化しすぎて中国文化を忘れた愚か者、と言われるほどです。

 彼らがどのようにしてタイ国籍を得たのかはそれぞれでしょうが、多くの外国人がタイに住み着き、タイ人化しています。バンコクの町を歩くと、様々な顔に出会います。

 日本人のような顔、鼻の低いラオス・クメール系の顔、中国人のような顔、マレー系の顔、白人のような顔もいます。どういう顔が典型的なタイ人の顔と言えるのか、バンコクに住めば住むほどわからなくなってきます。

 どこかで、タイ人ではない血が入っているのです。

 あるバンコクっ子は、今どきバンコクに100%のタイ人などは少ないだろう、とまで言います。

 外国人がタイという国に住み着いてしまう理由は、時代や地域の情勢とばかりは言えないでしょう。先進国からタイにやって来る者も多く、アメリカにおけるメキシコ系のような経済的理由によるとも言えないでしょう。

 やはり、タイ社会には、外国人にとってもなんらかの大きな魅力があるのだと思います。タイ社会は、異質なものでも受け入れてしまう寛容さを持っています。さらに特異なことには、異質なものが異質なままタイ社会の一角を占めるわけではなく、いつのまにかタイに同化してしまうことも多いのです。

隣国マレーシアでは、日本人駐在員は英語を話し、マレー語を流暢に操る例はそれほど多くはないようですが、タイでは、駐在員でもタイ語を話せるのが普通です。タイではあまり英語が通じないこともあるでしょうが、やはりそれだけが理由ではないでしょう。

 異質なものでもなんでも受け入れてしまうタイ。

 100年後のタイ人の顔は、どのようなものとなっているのでしょうか。

■ タイに溶け込む日本人

 Hちゃんは、京都の女子大学生でした。

 どこかおっとりとした、明らかに天然ボケの入った彼女は、なぜかバンコクに住んでいました。彼女本人に聞いてもタイに来た理由に確かなものはないと答えるでしょう。

 Hちゃんは、海外に興味がなく、海外旅行もしたことがありませんでした。 しかしある日、朝起きたら突然タイに住みたくなり、そのままパスポートを作ってタイへやって来てしまったのです。

 Hちゃんは、当然タイについての知識などほとんど持っていませんでした。 しかし、タイに着いた初日、Hちゃんは、ろくに観光もせずに町をブラブラと歩き回り、その日のうちにアパートを見つけて決めてしまいました。

 タイ語の話せないHちゃんが不慣れに町を歩いていると、日本語学校らしいものを発見。ここなら、誰か日本語の話せる人がいるだろうと入り、たまたま暇そうにしていた日本語を少し話せるタイ人係員に話しかけると、その人がアパート探しに付き合ってくれて、契約の手伝いまでしてくれたのです。暑いバンコクの町を歩いて疲れていたHちゃんは、1軒目にのぞいたアパートにいきなり決定してしまいました。

 彼女のような例はさすがに希少ですが(ちなみにHちゃんは半年ほどのタイ滞在後、帰国しました)、最近は多くの若者がタイに「暮らす」という目的で気軽にやって来ます。 特に目的のない場合もあり、いやタイに暮らすことそのものが目的の場合も多く、現地になんのあてもなくやって来た彼・彼女らは、すんなりとローカルのタイ社会に溶け込んでしまいます。

 Oさんもそんな1人。

 海外旅行の経験はそれなりにある彼女でしたが、タイへは来たことがありませんでした。それにも関わらず、「タイへ住もう」と考え、仕事を辞めて実際に来てしまったのです。 目的は一応「タイ料理を学ぶ」と言うことでしたが、料理学校の開講のタイミングが合わないとなると結局タイ語学校に通うことにあっさりと変更してしまいました。

住むことに決めたアパートの一室に偶然あった小さなタイ語学校は、生徒数も少なく、同じような境遇の日本人と知り合いになることはほとんどありません。

 必然的に、タイの日本人社会と関わることもなくあっという間にローカル化してしまったOさんは、今日もタイ人に間違えられながら、道端の屋台で食事をとるのでした。

 スクンビットに、とあるカラオケ・バーがあります。

 ここのオーナーは最近日本人となりましたが、もともとローカルのタイ人が食事と酒を楽しみながら歌うカラオケのある居酒屋のような店で、今でも客はタイ人が中心です。

 それでも、オーナーが変わって以降、タイに学ぶ日本人留学生たちが遊びに来るようになりました。この店には、日本のポップスのカラオケもちゃんとあるのですが、彼らの歌う歌は、タイのポップスです。

 屋台で食事するのもタイの歌を歌うのも、理由は単にここがタイだから。特別な理由なんてありません。必要がなければ、敢えて現地の日本人社会にコミットすることもなく、例えば大使館などにとってはおそらく面倒な存在でしょう。

 しかし、「タイに来たかったから」来てしまった彼らは、ごく自然にタイに溶け込んでしまっています。彼らにとって、タイは外国であるという意識はもはや少なく、単にタイという場所であるだけなのでしょう。

 バックパッカーの集う安宿街、カオサンで出会ったM君。

 彼は、ハードロックカフェで知り合ったというタイ人グループと一緒に、カオサンのバーで飲んでいました。

 ただ便利で安いからカオサンに宿をとっただけという彼は、特に観光らしい観光もせず、同じ日本人旅行者と行動をともにすることもなく、町をぶらつき、夜は飲み、タイでの短い「暮らし」を楽しみ帰国しました。

彼は、今年大学を卒業ですが、現在バンコクに暮らす手段を模索している最中だそうです。(Akira)


第6話

 この頃、私の口元は緩みっぱなしです。口を開いて気化熱を発散させないことには温度調節できないかのように、饒舌になっています。タイの犬も暑さに耐え兼ねて、舌を出してハー、ハーと腹式呼吸しています。暑いときに「暑い」と声を出すことは、少しでも暑さを紛らわせる効果があると思います。今月は、「熱帯の饒舌と寒帯の寡黙」についての考現学序説です。

 2月にソウルに行きました。厳寒です。熱帯から厳寒の地に飛んで、虫歯を食いしばって寒さに耐えてきました。歯を食いしばっているから饒舌にはなれません。お酒を飲んだときは体が暖まって少し饒舌になりましたが、お店から外に出るとすぐに冷えて、また歯を食いしばります。環境によって性格も変わるという由縁が何となく判ったような気になりました。

 ソウル行の用件は、街頭インタビュー撮影でした。同じ内容のインタビュー撮影をバンコクでも行いました。「熱帯の饒舌と寒帯の寡黙」というのは、そのときの直接的な感想です。全体(それぞれ十数人にインタビュー)として、バンコクの人は質問に対して「わかりません、知りません」と答えたあとでも「それは、こういうことなのじゃないかなあ」と饒舌です。ソウルの人は「知りません」「知っています」の返答が明確です。タイのようなファジー(あいまい)な答えがありません。

 ソウルのホテルでテレビを点けました。ドラマを放送していました。セリフと映像の構成が効いています。登場人物の気持ちが高ぶったときに言葉がポツポツと出てきます。気持ちの昂揚が頂点に達したときだけ、主人公は朗々と語ります。あとは登場人物の目線、表情、仕草などで映像表現しています。しばらくこういうドラマは見ていなかったな、と感じました。タイのドラマは登場人物が話しっぱなしで沈黙がないのです。統計を取った訳ではないですが、ドラマの中に占めるセリフに費やされる時間の割合は、タイの方が断然高いはずです。

 ソウル滞在は僅かだったのですが、久しぶりに、冬は寒く、夏は暑い国の情感のようなものを感じました。例えば、ファッションです。ソウルでは、黒や灰色などモノトーンのオーバー・コートやジャンパーを着ている人が全体的に多く感じました。春になると淡い色の衣服を着る人が多くなるのでしょう。そして夏は、燦燦と降り注ぐ太陽に負けじと原色の衣服を楽しむはずです。環境との同一性や調和がファッションにも反映します。熱帯のタイの人は、強烈な太陽に負けないくらいの色鮮やかで大胆なファッション感覚を持っています。バンコク銀行やタイ航空のような大企業は社員にユニフォームを支給します。変わっているのは、同じ柄の生地の支給だけでデザインは個人まかせという点です。女性社員達は、少しでも他の人との違いを際立たせるために、スカートにスリットを入れたり、ブラウスに赤や緑の襟ぐりを入れたり、胸元を少し開いたり、逆にチャイナドレスのような詰め襟にしたり、と工夫して仕立て屋にオーダーします。ユニフォームを着る意味が同一性にあるとすれば、この自由さはなんと熱帯的なのか、と感動します。しかし、最近モノトーンが流行っています。タイのTシャツ、バックなどもタイ独特のカラフルなデザインはなりをひそめて、白か黒が売れ筋です。これは季節を反映しているのではなく、不景気を反映しているのではないか、と考察します。

 さて話は変わります。韓国では陰暦の正月を祝います。陰暦の1月1日は当然、新月です。陰暦正月最初の満月の日にもさまざまな伝統儀式が行われます。私がソウルに行ったときに、この節日とバレンタインデーが重なりました。韓国ではキリスト教が多数派ですから、日本のような似非バレンタインデーではありません。それに輪をかけて、文鮮明の統一教会がミレニアムの合同結婚式をソウルで行いました。世界中から何万人もの信者が、まだ見ぬ伴侶との結婚をするために、ソウルに集まって来ています。かくして、どこのホテルも超満室状態です。友人の奔走で、ようやく部屋の取れたホテルも、くだんの合同結婚式関係者にほぼ占拠されていました。ロビーには、日本や遠く南米、アフリカの信者などが、期待半分、不安半分の表情でたむろしています。自分に被害が及ばない限り、人の信教についてとやかく言うつもりはありませんが、新郎新婦がスタジアムを埋め尽くす映像を思い描いてしまいました。初めて対面した伴侶が、期待を裏切る容姿・性格だったら落ち込むだろうな。逆のケースは、ラッキーだろうな。それらを、与えられた試練として享受するのか、教祖に直訴して結婚取り消しを申し出ることができるのかしら、と要らぬ心配をしてしまいます。

 そういえば、タイの人は団体行動というのが、あまり得意ではないなと思います。先のアジア大会のマスゲームはテンでバラバラでした。「熱帯の個人行動と寒帯の団体行動」という分析は成り立つかどうか。団体で動くと暑苦しいから個人で動く熱帯と個人単位では凍えるので団体で熱量を貯える寒帯。リオのカーニバルの自我的奔放性とピョンヤンのマスゲームの忘我的規律性。うーん、やはり環境が性格を左右している。

 推論をして遊んでいると時間はすぐに経っていきます。そして、「日本の環境と日本人の性格」についても、想いは及んでいきます。これは乱暴に話を展開すると、すぐにボロが出るので少し慎重になります。しかし、反論を承知で思い至ることを書きます。「温帯」に属する日本人の性格は、かつて「寒帯」の性格に近かったのだが、徐々に「熱帯」化してきているのではないか、という推論です。寡黙よりも饒舌、団体行動よりも個人行動、ユニフォームの自由化、…、と「熱帯化」が進んでいるのではないか、と思うのです。まさか「地球温暖化」の影響ではないでしょうが、日本は「熱帯化」してきています。この大胆で乱暴な推論に同意してくれる人は、私同様タイにどっぷりと浸った人たちだけかもしれませんが、…。

 ともかく、熱帯に浸りきって饒舌になりすぎている自分に、久しぶりに沈黙の美徳を思い出させてくれたソウル行でした。

 ふと脈絡もなく「もの言わば くちびる寒し 秋のかぜ」という日本の句を思い出しました。

 饒舌ついでに一句。

        「もの言えど ふところ寒し タイの風」      (M・K)




新コーナー  by《Yasuo. Miki》

タイに生きる日本人の実像と虚像(1)

《Y.M》さんからの特別寄稿 

 Yさんは食品加工の会社を経営するために訪タイしましたが事業に失敗、その後日系企業のコンサルタントや日系企業の現地採用者として働き、15年がすぎてしまいました。自らをシャムのアリ地獄に落ちこんでしまったと言います。駐在員として赴任し帰国せず退職し居着いてしまう人、年金生活をタイで過ごす人、バックパッカーとして世界中を旅し最後にタイで落ち着いてしまった人、楽宮旅社に憧れ麻薬で身を滅ぼす人などアリ地獄から抜け出れない人々の暮らしぶりなども含め、表から裏社会まで精通するYさんの眼で見たタイの一面を紹介していきます。


食いしん坊タイの釣り

サタヒップ Part 1

 バンコクの一日、どうしても刺身が食べたくて日本料理店へ飛び込んで「ちらし寿司」を注文した。食べ終わり「さてとお代は」と伝票を見て目の玉が飛び出した。

 「500バーツ!!」旅行者や裕福な駐在員の「高だか日本円で千五百円位ではないか」と言えるような方々とは違い。私のような地場で日々小銭を稼ぐ人種の500バーツといえば、一日三食外食しても4日位は優に足りる程の金額なのである。(本当です!一食30バーツの世界で生きてるのです。)半ば茫然としてお勘定を済ませ店を出て歩きながら徐々に怒りが湧いてきた。

 「よし、もっと新鮮で美味しい「ちらし寿司や刺身」を自分で釣って作ろう!」と愛竿とタックルボックスを積み込んでバンコクから車で出かけた、パタヤからさらに40分程車を走らせるとシャム湾の突端にあるひなびた魚村に出る。所要時間3時間。やってきました××サタヒップ! ここは私だけしか知らない穴場中の穴場です。だから、ケチとか因業親父とか罵詈雑言を浴びても正確な地名は絶対にここには書けません。

 ここはメインの通りが200m位しか無い本当に小さな漁村である。もちろん、釣宿などあるはずも無い。ではどうするのか、私は躊躇なく一軒の漁師の家の前に車を止めた。この家は私が数年前から懇意にしている老漁師「ティック」さんの家である、ティックさんが素早く私を見つけ片手を上げてニコニコしながら軒下から出てきた。長年つきあってるだけに一年ぶりの再会でも社交辞令的な挨拶などいらない。お互いの目顔で心が通じる。

 時計を見ると午後四時。「Yさん行くかい?」と、阿吽の呼吸。「今からだと烏賊かい?」「その前に少しシマアジでも狙ってみるか」荷物をおろすのも、もどかしく、さっそく道具を船に積み込んで「いざ!出帆!」とは言っても全長4mにも満たない大人4人が乗れば一杯になってしまう位の小さな漁船である。日本の大型遊漁船に乗り馴れた太公望が見たら、尻込みする程のボロ舟である。実際数年前、ティックさんと沖に出ている時にエンジンが止まってしまい、3時間ばかり漂流した経験もある思い出のボロ船、今もこのボロ舟が健在なのが私には非常に嬉しい。ティックさんは元々一本釣りの漁師であったが、現在は、もう一つの大型の漁船を二人の息子に譲り、悠々自適の隠居生活を送っている。年令不詳(60歳はとうに超えてるはずだが、褐色で筋骨隆々の身体を見ると、実際の年令が皆目見当がつかない。)

 しかし元々一本釣りの漁師だったから何の魚のポイントが何処で、根が何処にあるなど釣れるポイントを的確に知っており、ティックさんと釣りに行って外れたことは一度も無い。(一度、二人で大型クーラーに3箱も釣ってしまい処理に困ったことがある。その時は、結局翌朝、市場に行って魚の行商よろしく売り歩いたこともあった。)

 この岬の沖には大小合わせて5〜6の島が点在し、島と島の間の海流が非常に早く、そのぶん魚も大型で魚釣りとして魅力的なターゲットが豊富なのである。場所によっては、鳴門のうず潮の様にいくつもの海流が渦を作っているポイントもある。以前その近くで釣りをしていた時、ティックさんがポツリと「先週、わしの知り合いの漁師がそこの渦に巻き込まれて死んだよ」といわれ、10mとはなれていない渦に背筋を凍らせたことを思い出す。

 しかし、今日は夕暮れ時と言うこともあって20分そこそこの近場で竿を出すこととなった。正味3時間程の釣りであったがシマアジ6匹、もんごう烏賊3匹、二の腕もある大かますが3匹その他根魚など合わせて大型クーラー八分目の収穫であった。

 陸に上がりティックさんの家で持参の各種の日本の調味料を使い、和包丁を喜々として振り回し調理に取りかかる。今晩の献立は、シマアジのタタキと刺身、みそ風味の焼きサンガ、イカそうめん、いとよりの塩焼き、根魚の煮付け、かますのバターソテー。そして最後の一品は私が行くと必ずティックさんの家族からリクエストのある魚介類のゴロゴロ入ったシーフードカレー。(なぜかタイ人が日本風カレーを家族全員好きなのだ。一時に多めに作っておくと特に息子の嫁さんなどは一日3食とも食べている。)私も刺身に、イカそうめんにむしゃぶりつく。うまい!涙が出るほど美味しかった。「バカヤロー!これが刺身だ〜!」と叫んでみたくなる。そりゃそうだ、さっき迄目の前の海を泳いでいた魚なのである。

 寝る前に、かますの風干しと、いかの酒干しを作っておく、バンコクへの土産である。ティックさんの家の前の桟橋にゴザを引っぱりだし、その上にごろ寝「明日は陽と共に起きて一日釣り三昧だ!」と考えると興奮してなかなか寝つけない。
満点の星を眺めながら、心地よい海風の揺りかごに抱かれ、やがていつの間にか眠りについていた。     (次号へ) 

     

タイの魚食事情

 一般のタイ人には刺身を食べる習慣は無い。生で食べるのは海老、牡蠣などをレモンや各種ハーブやにんにくなどとともに食べるくらいで、普通は煮る、焼く、蒸す、油で揚げる等調理するのが一般的。しかし日本人の食習慣に接する機会が多いタイ人たちの中ではちょっとした日本食ブーム。最近屋台でも太巻寿司が売っているのに出会い驚いた。蒲鉾用のすり身やカニカマを日本むけに製造輸出する工場で働く人たちもいる。このような人たちからの口コミから日本食ブームが起きたのだろうか。日本人から見てタイ人は貧乏と思っている方が多いでしょうが、タイのある鮨屋の親父さんいわく金払いの良いのはタイ人、日本人は一人前いくらの寿司を食べる人がほとんどだが、〈Yさんは500バーツで怒った。〉タイ人にはお好みで握ってもらい金に糸目はつけない豪快な人や一族郎党引き連れての寿司宴会も多い。今後はタイ人をターゲットにしていかなくては売上げは伸びないという。たしかに、日本から食材直送の高級店ほどタイ人を見かける。日本食材を売るスーパーもお客はタイ人が激増中とか。これはタイではますます貧富の差が拡がってるということなのだろうか?

 余談だが、日本人の好きなタイ料理の一つにタイスキがある。タイ人達はこれは日本料理と思い込んでいる。 あはは_ どっちなんだろう?もはや食に国境は無くアジア料理かな? (tsuki)



1. カルチュラル・フェスティバル

 カルチュラル・フェスティバルは2年に1回、17の島に住む先住民アイランダーの部族が一堂に会して伝統的な歌・踊り・芸術を披露しあう民族の祭典。今年はちょうどその年にあたり、6月26日から7月1日までの6日間という長期間に勇壮な首狩り族の戦士の踊りを伝承するサイバイ・ダンサーズ(写真参照)やオーストラリア本土で活躍しているアイランダーのシンガーも参加。さらにオリンピックの聖火リレーも加わり、キリスト教伝来の祭りカミング・オブ・ザ・ライト・フェスティバルも合併するという力の入りよう。弊社はこの世紀の祭典のオーガナイザーをよく知っているので何かと有利。早いもの勝ち!

2. 自分の顔写真が切手に!?

 オーストラリアで世界でも初めての画期的な切手が生まれた。何と自分の顔写真が切手にできるのだ。ベースとなるデザインはお祝い・赤ちゃん誕生・バースデイ・恋人へ・クリスマスなど8種類の中から選べてそれぞれに自分の好きな写真を組み合わせることができる。申し込んでからできあがるまでに2週間。切手の種類は国内用の45セントと海外向け郵便用の1ドルの2種類で最低1シート(切手20枚)から。気になるお値段は1シートで切手の料金プラス11ドルとかなりお買い得。たくさん作れば作るほど安くなってくる。プリクラを手紙に貼るより、これからは自分の写真入り切手を貼るのがおしゃれ。

3. 史上最長の聖火リレー!!

 2000年シドニー・オリンピックの聖火は5月10日にギリシアを出発、14ヶ国を経て6月8日にエアーズロックに到着。その後9月15日の開会式までオーストラリア中を27000kmも移動する。この長さはオリンピック史上最長でオーストラリア全人口の85%が車で1時間以内の所で聖火を目撃することができる。聖火が途中通過する町の数は1000以上になり、サーフィンで有名なビーチではサーフボードに乗り(消えないかちょっと心配)、大陸横断鉄道やロイヤル・フライング・ドクターの飛行機に乗り、ラクダの背中にも揺られて旅をする。聖火を運ぶのは1万人でグレッグ・ノーマンなどの有名人も含まれている。

4. 群れる蝶とオウムガイの島!?

 ある小さな島では不思議な事が起こる。そのひとつはワンダラーバタフライ(オオカバマダラ)。5000匹にものぼる蝶のコロニーがあり、毎年4〜5月になるとすべてが一カ所に集まるので枯れ木がまるで蝶の葉をつけたようになる。地元の人によって発見されたのは1979年のことだったが8年もの間このことは秘密にされていた。もうひとつの不思議は生きる化石と言われるオウムガイ。7年に1回大量の貝殻が海岸に打ち上げられるというが人によっては21年に一度本当にたくさんの貝殻が漂着するとも言う。どうやら今年がその年にあたるらしいのだが、見られるとすれば5月第一週の産卵の時期がそのチャンス。

5. 世界最大のタイガースネーク!

 大陸から切り離された島では時として生物に独自の進化をもたらす。オーストラリア各地に生息する猛毒のヘビ、タイガースネークは通常、体長1m位にしかならないが、ある島では同じヘビが2mにまで成長する。もちろんタイガースネークとしては世界最大。その原因はエサにあるようで、島のタイガースネークは毎年シベリア方面から渡ってくるミズナギドリのヒナを食べる。ヒナがあまり大きくなってしまうと飲み込むことはできなくなるので、食べれるだけ食べてあとの8カ月は冬眠に入るのだ。島民もヒナを食糧とするが、地面の穴に手をつっこんでみて冷たければヘビ、暖かければヒナがいると判断する。


より詳しいことのお問合わせはオーストラリア提携コーディネーター担当ミノワまでどうぞ。
電話 : +61-7-5571-2725,  FAX : +61-7-5571-2726, E-mail :
opworkvs@fan.net.au





先月号で紹介しました東京から新たに赴任した奥本君の滞在レポートです。


オッ君のバンコクリポート 第1弾

 

 僕がバンコク入りしてからほぼ1ヶ月がたちました。

 ロケでプーケット(タイのリゾート地)やインドネシアに行っていた為、バンコクに住んで実質2週間弱というところですが、今回は現在感じていることをお伝えします。

来て、まず感じたのは単純に屋台が多いこと。町のいたる所で目にします。それも様々な屋台があります。フルーツやめし屋の屋台は当たり前、合鍵屋やスルメ屋(自転車にスルメを干した状態のまま、七輪を積み買う客がいると、その場で焼いて売る)など日本には無い物がたくさんありました。ところが、先日ロケで御一緒した日本からこられたカメラマンいわく《バンコクは昔の日本に似ている》日本が高度成長した頃のアンバランスさがそのままだとのこと、

新しく超高層ビルや高架鉄道が建てられていく一方では板一枚隔てた隣には別の家族が暮らす(昔の長家やバラック小屋)がまだたくさんあります。

そんなこと考えて町を歩いていると電柱から何十本の電線が渡され、歩道からゴム管が飛び出し危なく電線に引っ掛かったり穴に落ちそうになります。

話は変わりますが、食後のデザートにスイカ、マンゴー、パイナップルと一緒に塩が出てきます。あなたなら何に塩を付けて食べますか?普通日本人ならスイカに付けて食べるのでしょうが、ここタイではパイナップルに付けて食べるそうです。日本でスイカに塩は甘味をますためとの理由ですが、タイでは酸っぱいフルーツに塩をつけるのは酸っぱ味をすためだそうです?

まだ少し町を歩いたりタイ人と話をしただけですが、意外と日本に似ている部分や違うことを発見する毎日です。次回はもっと掘り下げたリポートをしたいと思います。

それではまた。(Oku)


 

軍用犬が剥製に.........

 1月にミャンマーとタイの国境近くの町で病院占拠事件があった。その時に軍隊と一緒に出動した軍用犬が戦死した。その犬を讃え勇気の記念として軍が剥製にした。(シーウィットンスー誌)

本物にそっくり、安い人工器官

 スパチャイ医師は眼が見えない貧乏な人のために、5年間をかけて人工義眼を中心に作っています。この人工の眼は牛の骨から作られ、本物の眼にそっくり。値段は片目で外国の4万〜5万バーツのと比べると、5千バーツもしません。とても安く、しかも、彼はお金のない人に特別に無料で治療してあげるという。(シーウィットンスー誌)

人工器官の数々
手術後
手術前

         

 ネズミ食キャンペーン
 ブリラム県のク−・ムアン地区にあるパ・ク−・ムアン寺で行われたネズミ食キャンペーンには、4千人以上の村人が集まり3百以上のテーブルに様々なネズミ料理が並んだ。

 オンアート医師によると、ネズミの肉は健康によく、病原菌を殺す力もあるのだそうだ。また、鶏肉ほど脂っこくないので、健康食として長年食べ続けているという人もいる。
(KoKo / シーウィットンスー誌)







すごい!!耳折りできる子!

パトゥムタニ−県にいる12歳のシェ−ッくんは特殊能力を持ち、それは自分の両方の耳を半分折って、耳がなくなったように耳穴を全部閉めることができる。きっかけは、ある日、彼が起きた時に耳を触ったらなくなったと思った。粗比から自由自在に閉じられる(タイラット紙)



薬用酒で元気が出る!

 クロ−ントイにある薬用酒の屋台では夕方6時ごろから疲れたおじさん達が集まり仕事の話をしながら薬洋酒を飲んで今日の疲れを取っています。最初は飲みづらいですけど、3杯目以降はOK!
コブラ薬用酒

:コブラ薬用酒一杯/15バーツ

:胆のう入り薬用酒一杯/50バーツ

:血入り薬用酒一杯/15バーツ

:生血入り&胆のう入り薬用酒500〜600バーツ  あなたも一杯いかがですか?

中ちゃん!... チョーク!...  奥本!... 逃げちゃダメ!!

タイマッサージで金持ちになる

 ワッド・ポーというお寺の中にあるタイマッサージ学校は非常に外国人に人気がある。ここに来た日本人のお客さんは先生の腕を気に入って、タイ人にとっては大金6万バーツの月給で東京にあるマッサージ店に働きに連れて行った人もいる。その先生はマッサージ師として9年間日本で働いて大金を溜めて、タイに戻ってきたら家も車も買って幸せな生活を送っている。(タイラット紙)

カエルがお酒を呑むと!?

 東海岸の町ラヨ−ンには珍しい信仰がある。それは、カエルにお酒を呑ませて宝くじの当然番号を当てるのである。その方法は、@夜、ヒキガエルを捕まえて Aヒキガエルに金箔のお酒を呑ませる Bそしてお腹に白い粉を塗ると、真っ赤になったカエルのお腹に当選番号が浮き上がるというのである。この方法で宝くじを当てた人もいるという。(KoKo)

投票に行かないと、政治的な権利を失う!

 3月4日に国民によって上院議員選挙の投票は初めてタイで行われた。この度、新しい規定も作られた。それは、投票に行かない人は今後の政治活動に関する権利を失うようになるということ。そこで、大勢の人々が自分の投票権利を使いに行った。(タイラット紙)

150頭の象は抗議でバンコクに入る

象と象使いがバンコクに稼ぎに来ることを禁止する法律に抗議するため、象使い達は3月13日に150頭の象をバンコクへ連れてくる。その情報を事前に知った警察は人々に迷惑をかけないようにこれを阻止するという。(タイラット紙)

「ザ・ビーチ」上映中止を要請

 タイで撮影されたレオナルド・ディカプリオ主演のハリウッド映画「ザ・ビーチ」が今月10日から公開される。しかし、宗教、芸術、文化に関する下院特別委員会は「主人公が仏像の前で考え込んだ末、セックスとドラックを求める旅に出るというのは、タイ仏教への冒涜」と語っている。また、「主人公がマリファナを吸う場面はタイの若者に悪い影響を与える」として、警察庁に上映中止を要請した。(バンコク週報)


お寺でのおかまショー

 3月4日に全国からのおかま達はアユタヤのナ−ンクム寺に集めてショーと美人コンテストを行った。その目的はこの収益金をナ−ンクム寺に寄付して、会館を立て、お寺にある学校の学生に奨学金を贈ること。「私達も役に立つ、思いやりもある人間で社会から認めてほしい。」と主催者のオフちゃんが語った。(タイラット紙)




おかまちゃんとバレーボール

 以前おかまのボクサー“トゥムちゃん”が日本でも紹介され、話題になりましたが、タイのおかまちゃん達は、普通はムエタイよりバレーボールが好き。上映中の「サトリ−レック(鉄の女の意)」という映画は、化粧をして試合に臨むおかまちゃん達が偏見を乗り越え、普通の男子チームに勝ってチャンピオンの座を獲得するという噂のような本当の話に基づいて作られた映画です。(DACO)


2月26日〜4月10日


タイ民族のスポーツ・フェスティバル
(サナーム・ルアン:バンコク:16.00〜20.00)2000年祝賀の一つのイベント。ナラーイ大王のライト&サウンド(ロッブリー)

3月


水上マーケット&ぶどうフェア
(ダムナンサドゥアク、ラーチャブリー)タイクッキング、水上ボクシング、ボートなどの様々な試合が行われる。

3月


ASEANハトフェスティバル
(ヤラー)東南アジアの国々からのハト愛好者はここに集まってくる。ハトの鳴き声の試合はイベントのメイン。

4月1〜9日


第21回国際バンコクモーターショー(BITEC、バンコク)

4月12〜15日


ソングラーン祭り
(全国)タイの伝統的なお正月。人々がお互いに親切で楽しく水をかけるのはこの 祭りのメイン。

4月12〜14日


バンコクソングラーン祭り
(バンコク)サナムルアン、カオサーン通り、バンラムプー周辺は観光客の楽しめる水かける祭りの名所。

4月12〜19日


パタヤ祭り
(パタヤ)きれいな山車、おいしい料理の屋台、花火のショーがビーチで行われる。

4月13〜15日


チェンマイソングラーン祭り
(チェンマイ)宗教の楽しい活動はパレードやソングラーン美人コンテストと共に行われる。

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